バンガロールに来ちゃったの

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『ライク・サムワン・イン・ラブ(Like Someone in Love)』(Abbas Kiarostami)[C2012-05]

ユーロスペースで、アッバス・キアロスタミ監督の『ライク・サムワン・イン・ラブ』(公式)を観る。

  • 全く先が読めない、すごくスリリングな展開でおもしろかった。
  • 主要な登場人物は3人。元大学教授のタカシ(奥野匡)、アルバイトで売春をしている女子大生の明子(高梨臨)、彼女の恋人のノリアキ(加瀬亮)。彼らのバックグラウンドや様々ないきさつなどはほとんど明示されない。ドラマチックな出来事は常に映画の外で起こり、映画は一見中身のなさそうな、ダラダラとした会話をドキュメンタリーのように映し出す。しかし映画を最後まで観たとき、それらの他愛ない会話がひとつにつながって彼らの背景が浮かび上がり、タカシが明子を呼んだ理由、おばあちゃんが留守電でお芝居をしていること、明子がおばあちゃんに会いに行かない理由、ノリアキのストーカー的行為の理由…などが全部わかるので感心した。
  • 物語は、起承転結でいうと転に入ったところで突然終わる。先のないところに追い込まれてしまっている三人が出会ったことで、彼らはもう元のままではいられない。だからあとはどうなるかわからないけれど、どうにでもなればいいと思う。そして人生はつづくのだ。
  • 車でのシーンが印象的なのがキアロスタミだと思った。
  • キアロスタミの映画は、好きなのもそうでもないのも、けっこうイライラするところがある。しかしこの映画にはそれがない。それはつまり、これが日本を舞台に日本語で撮られているからだ。キアロスタミの映画では、おもしろいことが語られたり、人物がドラマチックな行動をしたりはしないので、台詞の意味内容や人物の明らかな動きだけをみると情報量が少なくみえるが、意味のなさそうな受け答えやちょっとした仕草にも、その社会、その状況においてもつ意味というものがある。しかし、たとえばイランの田舎の庶民の社会的コンテクストはわからない部分が多いから、すごく豊かな情報量のなかのごく一部しか受け取れていない場合があり、そういうときにたぶんわたしたちはイライラする。しかしこれは日本の都会が舞台であり、社会的コンテクストの多くを共有している層を描いているので、提示されている豊かさを全部そのまま受け取ることができたのだと思う。
  • 明子の設定や、タクシーの運転手の様子が執拗に描かれているところなどから、キアロスタミはたぶん『ラブホテル』を観ていて、この映画はその影響を受けていると思った。
  • この話はおそらく、キアロスタミが以前に日本に来たときに、電話ボックスなどにおねえさんの写真入りチラシがたくさん貼られているのを見て興味をもったのがきっかけで思いついたものだと思う。ヴェンダースの『東京画』などもそうだけど、外国人(の芸術家)は時に、わたしたちが素通りしてしまうけれども実は日本独特のものを目ざとく見つけ、興味を抱き、それを作品にまで高めてしまうのである。
  • この映画はユーロスペースの製作で、名前だけだけどカフェ・テオが出てくるところににやりとした。今度カフェ・テオのトイレのタイルの数を数えてみようと思う。