実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『須賀敦子全集 第1巻』(須賀敦子)[B1236]

須賀敦子全集 第1巻』読了。

須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)

須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)

須賀敦子全集 第2巻』[B1191](asin:4309420524)を先に読み(id:xiaogang:20070511#p1)、読みたいと思っていた『ミラノ 霧の風景』が収録された本。『ミラノ 霧の風景』も、やはり死の気配に覆われた作品だった。夫、ペッピーノの死が全篇の基調をなしているうえに、エッセイ一篇ごとに人が一人死ぬといっていいくらい、人が次々に死んでいく。

タイトルからはミラノに関する記述を期待してしまうが、ミラノについては『トリエステの坂道』のほうが印象深い。『ミラノ 霧の風景』は、基本的に作者のまわりの友人たちを描いたものである。この本に収録されているもうひとつのエッセイ、『コルシア書店の仲間たち』は、タイトルどおり、コルシア・デイ・セルヴィ書店を運営する人々やパトロン、あるいは常連客について書かれたもの。この二つの作品を読んで感じるのは、取り上げられている人々に対する愛情や敬意が感じられるのと同時に、かなり冷徹な眼で彼らをみているということだ。これらの作品が、彼らとの日常的な交流から数十年経ったのちに書かれていることがひとつの要因といえるだろうが、人が変わっていくこと、それにつれて人と人との関係も変わっていってしまうことが、淡々と冷静に綴られている。そのことを嘆いたり悲しんだりする感情的な表現がないだけにかえって、行間からにじみ出る喪失感のようなものに心をうたれる。

おそらく須賀敦子のエッセイ全般に関していえることだが、特に『ミラノ 霧の風景』を読んで思うのは、私にイタリア文学、特に詩の素養がもっとあれば、もっともっと楽しめるだろうということである。残念ながらイタリア文学についてはほとんど何も知らないに等しいので、ここでは映画に関連する記述(ただし本文では映画への言及はない)をいくつか拾っておく。

  • ジャコモ・レオパルディの《追憶》という詩が、「大熊座の星がひそやかに燦めき」という句ではじまる、という記述があった(『ミラノ 霧の風景』p. 36)。ヴィスコンティの『熊座の淡き星影[C1965-02]を即座に連想したので調べてみたら、やはりこのタイトルはこの詩から取られていた。しかしよく考えてみたら映画の中でも引用されていて、いまさら知ったつもりになった私が情けないのだが。
  • ジョヴァンニ・パスコリの《八月十日》という詩に関連して、聖ロレンツォの祝日(8月10日)についての記述がある(『ミラノ 霧の風景』p. 43)。聖ロレンツォの祝日といえばタヴィアーニ兄弟の『サン・ロレンツォの夜』[C1982-03]だが、どういう日なのか知らなかった(これももしかしたら映画のなかに出てきたのかもしれないが)。
  • その《八月十日》という詩は、パスコリの父親が8月10日に暗殺されたことを描いた詩で、「みひらいた目には、叫びが残り、/むすめたちへの人形が、ふたつ……」(『ミラノ 霧の風景』p. 44)という一節があるらしい。これを読んで『仁義なき戦い[C1973-13]を連想するのは私だけではあるまい。

ほかにも、ヴィットリーニの『シチリアの会話』への言及(『ミラノ 霧の風景』p. 148)とか、ヴィットリーニと『山猫』[C1963-10]の原作との関係(『ミラノ 霧の風景』p. 151)とか、ペッピーノは実は是公だったとか、いろいろと興味深いことが書かれていた。それから、「シチリアの泣き女の葬送唄」(『コルシア書店の仲間たち』p. 347)というのを見つけた。かつてイタリアと中国は地続きだったに違いない、というのは冗談にしても、かねてからイタリアと中国の数多の類似点に注目している私にとっては、たいへん興味深い記述である。