バンガロールに来ちゃったの

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『砂利の道(Chemman Chaalai)』(Deepak Kumaran Menon)[C2005-50]

台風で出歩く気もしないので、午後はセガフレードで、たまっている感想を書いたりして過ごす。夕方六本木へ移動し、パスタで晩ごはんを済ませる。映画祭は明日までだが、私の鑑賞は次が最後。その映画、今日の2本目、映画祭13本目はアジアの風の『砂利の道』(公式)。先日観た『ダンシング・ベル』[C2006-38](id:xiaogang:20071022#p1)のDeepak Kumaran Menon(ディーパク・クマーラン・メーナン)監督の旧作である。

『砂利の道』は、ゴム農園で働く子だくさんの家族の物語。街が舞台だった『ダンシング・ベル』とは設定が異なるが、映画の枠組みは驚くほど『ダンシング・ベル』と同じ。ある家族がいて、そこにいろいろな災難がふりかかるが、家族は何とかそれを乗り越える。しかし家族外のごく親しい人に死が訪れ、主人公はそのために苦しむが、最後には主人公の望みがかなう(それにはお金がかかるが、お金の使い道に二つの選択肢があって、より有意義な目的が選択される)というものだ(この映画では、大学をめざす少女、シャンターを、『ダンシング・ベル』では兄妹ふたりを主人公と想定)。そればかりか、親切な華人の商店主が登場し、中国語の歌を歌う、というところまでそっくり。こうなると次回作がめちゃくちゃ楽しみである。

ゴム農園というなじみのない舞台設定や、家族の人数の多さなどから、最初のほうでは登場人物の区別や関係がわかりにくかった。そういう点では、『ダンシング・ベル』ではかなり進歩したという印象を受ける。しかし映像はこちらのほうが印象的。当然これもディジタルだが、終盤の橋のシーンでは、木漏れ日がため息がでるほど美しく描かれていた。

この映画でも、マレーシアだからとかインド系だからといったことは明示的には描かれていない。しかし、貧しい家に生まれた非ブミプトラの子供が大学へ進学することの困難さの裏には、ブミプトラ政策の影が見え隠れする。現代の話だと思って観ていたが、八妹さんのブログ(id:baatmui:20071027#1193571562)によれば、監督のおかあさんの少女時代の話だそうだ。しかし、農園労働者の家に生まれたら農園労働者になるしかないといった状況は、今日でもあまり変わっていないのではないかと思う。

『ダンシング・ベル』のおとうさんと妹が、ここではおじさんと末娘として出演していた。また、製作を陳翠梅(タン・チュイムイ)が担当している。マレーシアのインディペンデント映画界では、民族によらず協力関係が築かれているようだ。