実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『黒い眼のオペラ(鄢眼圏)』(蔡明亮)[C2006-27]

J先生が「実家に帰らせていただきます」と言って帰ってしまい、せっかくの鬼のいぬ間だけれど今日は出京。シアター・イメージフォーラムへ、去年のフィルメックスのクロージングで観た『黒い眼のオペラ』(公式/映画生活/goo映画)の初日初回に行く。去年『楽日』[C2003-03](asin:B000KLR4Q2)と『西瓜』[C2005-16](asin:B000KLR4PS)が相次いで公開された蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)の新作だから、それなりに混んでいるだろうと思って早めに行くが、全く混んでいなかった。あまりの観客の少なさに悲しくなる。

ふたりの李康生(リー・カンション)、植物人間の李康生と流れ者の李康生の関係をどう捉えるか、というのがこの映画のひとつのポイントだ。ふたりが同じ人間であるという含意は観念レベルでは当然あるだろうが、観念的な解釈はあまり好きではないので、ここでは眼に見えるとおりふたりの人間として考えたい。そのような前提で考えるとき、この映画は、一見、流れ者の李康生と陳湘蒞(チェン・シャンチー)が惹かれあう物語のように見えるけれども、実は陳湘蒞が好きなのは植物人間の李康生ではないかと思った。李康生が植物人間になったのは最近のことで、その前にふたりは知り合っていたのかもしれないとも考えたが、陳湘蒞の李康生に対する態度がニュートラルなので、とりあえずその考えは捨てた。そうではなく、陳湘蒞は寝たきりの李康生の世話をするという辛い生活のなかで、想像というか妄想のなかに元気な李康生を思い描き、その想像上の男に恋をしているのではないかと思った。そこに流れ者の李康生が現れたので、とりあえず彼女の思いは彼に向かうけれども、おそらく最終的にはそうはならないのではないか。

そのように考えると、ノーマン・アトン(役名はラワンとプログラムに書いてあるが、そんなの出てきたっけ?)は流れ者の李康生が好き、流れ者の李康生は陳湘蒞が好き、陳湘蒞は植物人間の李康生が好きということになり、ラストシーンの三人は、それぞれが叶うことのない思いを抱えながらひとつのマットレスに横たわっている。今回再見して、やはりこの映画はマットレスのロード・ムーヴィーであると思い、『旅するマットレス』という邦題をつけたい思いに駆られたが、そのマットレスも、ラストシーンでやっと居場所を見つけたかのように見える。しかし水の上にずっと浮いてはいられないし、あれは出口のない水たまりであり、マットレスもその上の三人も、漂っているだけでどこにも行けない。あのラストシーンは、そのような絶望のなかにあって、それでもなお、人と人とがつながることの喜びや幸福感を表しているのではないか。しかしそんなことより、マットレスの後ろをついてくるあのライトが最高である。このライトを買うことと、街角で屋台を出しているらしいノーマン・アトンを見つけて揚げ菓子を買うことが、次のクアラルンプール旅行の最大の目標である(本当はロケ地探しのほうが大事だけれど)。

コーヒーショップの親子と陳湘蒞との関係については、前回(id:xiaogang:20061126#p3)観たときから気になっていた。女主人と陳湘蒞のあいだにはただならぬ空気が存在している感じがして、女主人は単にこき使っているというのではない複雑な感情を陳湘蒞に抱いているように見えるからだ。だから最初は血縁関係とかそういったものがあるのではないかと思ったりもして、そのあたりのことが知りたくて今回プログラムを買ってみた。しかし、インタビューの中で陳湘蒞は、「大陸からの出稼ぎ労働者と思われるが、蔡明亮はあまりきっちりと設定を決めない」という趣旨の発言をしていた。たしかに蔡明亮の映画は、それなりの設定がわかればあまり細かいことは気にならず(と言いつつも、小康の家庭の省籍矛盾が気になったりもするのだが)、具体的な背景がわかるほど物語もよくわかるというタイプではない。だからあまり生々しい想定をおくのは蔡明亮映画らしくないと思い、上述のような想像をしてみた。いずれにせよ、あまりにも説明がないのでいろいろと想像力を刺激する。

アジア通貨危機によって建設中のまま残されたビルや外国人労働者といった、マレーシアが抱えている問題が反映されているが、プログラムを読んでわかったことは、もうひとつ、この映画にはアンワル元副首相の解任問題もさりげなく取り入れられているということだ。具体的には、同性愛の証拠物件としてマットレスが提出されたり、裁判に臨んだアンワル元副首相には警察長官に殴られてできた“黒眼圏”があって問題になったりといったことがあったらしい。当時この事件はたしかに大きなニュースだったが、そういったことは知らなかった(あるいは忘れてしまった)ので、映画を観ても気がつかなくて残念だった。その後どうなったのかも知らなかったが、ゲイ疑惑については証拠不十分で無罪になっていたようだ。蔡明亮の映画には、政治問題や社会問題があまり明確な形では出てこないけれど、たしかにマレーシアは蔡明亮にとって生きにくいところだろう。アンワル事件のころからこの映画の準備を具体的に進めていたらしく、そのことも驚きだった。予告篇でよく見かける「構想10年」(びっくりマークが二つつく)というやつだ。

ほかに今回気づいたこと。

  • 映画のなかで流れるニュースで、「マットレスの耐久期間は5〜10年」と言っていた。うちのベッドのマットレスも替えたほうがいいのか?
  • ノーマン・アトンが李康生の額に氷嚢がわりに載せる、鮮やかな緑色のジュースはなんだろう?
  • 字幕は太田直子さん(id:xiaogang:20070225#p3参照)だった。量的にはあまり苦労の要らない映画だが、「ヘイズ」という表現が定着していると思われるマレーシアの煙害を「煙霧」としているのはなぜなのか気になった。
  • そのヘイズのために登場人物がつけているマスクまたはその代用品が、その人の社会的なクラスを如実に反映しているのに感心した。