実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『三都物語』(船戸与一)[B1164]

三都物語』読了。

三都物語 (新潮文庫)

三都物語 (新潮文庫)

私は船戸与一がどういう作家なのかほとんど知らない。2004年に出た『金門島流離譚』(ISBN:462010681X)を、タイトルに惹かれて読んだだけである。『金門島流離譚』には、表題作のほかに九份と金瓜石を舞台にした『瑞芳霧雨情話』が収められていて、どちらかといえばこちらのほうがよかった。しかしいずれにしても、想定が金門島九份の実情とはかけ離れているように思われたのと、あまりにも凄惨な話なのとで、特に気に入ったわけではなかった。今回、文庫化されたこの『三都物語』を買ったのは、単に台中が舞台のひとつだったからである。台中には3回行ったことがあるが、街を歩き回ったのは実質一日で、あまり土地勘がない。それが心配だったけれど、街の描写はあまりなく、特に台中らしい感じも出ていなかったように思う。しかし、全体的にはけっこうおもしろかった。

横浜、台中、光州を舞台に、日本、台湾、韓国のプロ野球界を描いた小説で、それぞれ主人公の異なる五つの短篇から成る。多くの登場人物が共通し、時間順に並んでいるので、一応全体としてつながっているが、ひとつひとつのお話は各短篇ごとに完結している。金がすべての社会のなかで、あるいは歴史と政治のしがらみのなかで、主人公が敗北し、挫折する、というのがすべてに共通するモチーフである。最初の四篇では、それなりの年齢である主人公が、身体を損傷するとか職業を失うとかいった形で、明確に何かを喪失し、明らかな挫折を味わう。それに対して、二十代前半の青年が主人公である最後の一篇は、主人公は明確な形で何かを失うわけでも、夢に敗れるわけでもない。ほかの主人公が、挫折によって人生に一区切りつけるのに対し、彼の人生はそのまま続いていく。そこにあるのは漠然とした不安であり、得体のしれない暗闇である。それだけに不気味だ。

気になるところを二点だけ挙げておく。ひとつは調査の詰めが甘いこと。いくつか例を挙げる。

台湾では一般に高山族と呼ばれている少数民族のひとつタイヤル族の出身だった。(p. 97)

高山族。言わんだろう、いまどき。

…府後街のファーストフードの店で割包を食った。これは甘辛く肉と魚を餃子の皮で包んだ台湾式ハンバーガーだ。(p. 123)

餃子の皮ですって?

もうひとつは重複が多いこと。上述したように、各短篇に共通の人物が出てくるが、毎回その説明があって、内容がほとんど同じ。各短篇のみでも物語が完結するように、あえて重複させているのだとは思う。しかしこれらは、主人公の語りで進められる一人称小説であり、全く異なる複数の人物が、ある人物をほとんど同じ言葉で紹介するというのは、いくらなんでもおかしいだろう。これだけならまだしも、ほかにも重複が多く、作者はあまり気にしていないように思われる。たとえば、主人公が何かを考えたり、何かを体験したりして、あとでそれを誰かに話すといった場面がいくつかある。そのときに、すでに書かれたのと同じ内容が、会話でそっくり繰り返される。特許を読んでいるみたいで辟易する。私は小説であれエッセイであれ、同じことがくどくど述べられているのが嫌いである。