『三都物語』読了。
- 作者: 船戸与一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/07
- メディア: 文庫
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横浜、台中、光州を舞台に、日本、台湾、韓国のプロ野球界を描いた小説で、それぞれ主人公の異なる五つの短篇から成る。多くの登場人物が共通し、時間順に並んでいるので、一応全体としてつながっているが、ひとつひとつのお話は各短篇ごとに完結している。金がすべての社会のなかで、あるいは歴史と政治のしがらみのなかで、主人公が敗北し、挫折する、というのがすべてに共通するモチーフである。最初の四篇では、それなりの年齢である主人公が、身体を損傷するとか職業を失うとかいった形で、明確に何かを喪失し、明らかな挫折を味わう。それに対して、二十代前半の青年が主人公である最後の一篇は、主人公は明確な形で何かを失うわけでも、夢に敗れるわけでもない。ほかの主人公が、挫折によって人生に一区切りつけるのに対し、彼の人生はそのまま続いていく。そこにあるのは漠然とした不安であり、得体のしれない暗闇である。それだけに不気味だ。
気になるところを二点だけ挙げておく。ひとつは調査の詰めが甘いこと。いくつか例を挙げる。
高山族。言わんだろう、いまどき。
…府後街のファーストフードの店で割包を食った。これは甘辛く肉と魚を餃子の皮で包んだ台湾式ハンバーガーだ。(p. 123)
餃子の皮ですって?
もうひとつは重複が多いこと。上述したように、各短篇に共通の人物が出てくるが、毎回その説明があって、内容がほとんど同じ。各短篇のみでも物語が完結するように、あえて重複させているのだとは思う。しかしこれらは、主人公の語りで進められる一人称小説であり、全く異なる複数の人物が、ある人物をほとんど同じ言葉で紹介するというのは、いくらなんでもおかしいだろう。これだけならまだしも、ほかにも重複が多く、作者はあまり気にしていないように思われる。たとえば、主人公が何かを考えたり、何かを体験したりして、あとでそれを誰かに話すといった場面がいくつかある。そのときに、すでに書かれたのと同じ内容が、会話でそっくり繰り返される。特許を読んでいるみたいで辟易する。私は小説であれエッセイであれ、同じことがくどくど述べられているのが嫌いである。