極寒の雨の日、冬物のコートなどとっくになく、春物を重ね着して出京。はなまるうどんで昼ごはんを食べてフィルムセンター(公式)へ。「映画の中の日本文学 part 3」(公式)特集で、山本薩夫監督の『白い巨塔』を観る。
- 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
- 発売日: 2008/02/22
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田宮二郎演じる野心的な外科医・財前助教授が、周囲の反感を買いつつも教授の椅子を手に入れ、誤診で訴えられるも勝訴するまでを描いたもの。財前は野心家で自信家、しかしそれに見合うだけの実力も兼ね備えた、わかりやすくも魅力的なキャラクター。これと対照的な人物として、田村高廣演じる里見助教授が配されていて、彼は研究に没頭し、慎重でまじめなキャラクター。財前は、悪役といえば悪役だけど、主人公でもあり、田宮二郎がかっこよく魅力的に演じているので、むしろ彼を応援しながら観てしまう(でも、教授になったからってヘンな口髭生やすのはやめてね)。
大学病院の権力闘争のいやらしさは、主にこの二人以外の人物によって描かれている。悪のかたまりみたいな人はおらず、良心や正義に基づく言動もあるものの、金のため、自分の立場や影響力を確保するため、大学や大学病院、医者の権威を守るための言動が、結果として財前の教授就任や勝訴を可能にしてしまう。学部長から一医局員にいたるこれらの人々を、小沢栄太郎、東野英治郎、滝沢修、加藤嘉、須賀不二男、加藤武といったひとクセある俳優が演じていて楽しい。金持ち開業医の財前の義父を石山健二郎が演じていて、二言めには「なんぼや?」と言うのも楽しい。
財前を応援してしまうのは、後半で彼を訴える患者の遺族にぜんぜん同情がわかないからというのもある(わたしだけ?)。誤診があったとしても、癌が転移しているならどうせ長くはないだろうし、そもそも患者は老人である。訴えるまでしなくても、と思ってしまう。なぜこのような設定にしたのか疑問に思うが、モデルがあったのだろうか。
おもしろい映画だが、いちおう理系であるはずの医学部の人たちが、こうも権力闘争に明け暮れているのに違和感があった。大学に残っている親しい人がいるわけではないので、あくまで遠くから見た感想だが、理工学部の場合、大学に残る人というのは出世や権力にはあまり興味がなく、ヒマがあれば研究をしていたい、里見助教授みたいな人がほとんどである。教授にそんなに権力があるようにも見えないし、一般学生を含め、教授に「ですます」調のふつうの丁寧語以上の敬語を使っているのは聞いたことがない。一方、財前助教授は東教授に対して「…でございますか」などと言っており、理解を超えた世界。
ただし、この映画を観たかぎりでは、そもそも学部内の構造が違っている。助教授になれば自分の研究室が持てて、下にいるのはほとんど学生という理工系とは違い、医学部は各科に教授、助教授が一人ずつで、その下に一人前の医者が大勢いるという、わかりやすいピラミッド構造。教授回診というのはわたしも見たことがあるが、かなり異様なもので、あんなものが存続しているからには、やはり相当権威主義的なところなのだろう。『愛染かつら』などを見ると、一般の病院には院長回診というものがあるようなので、大学の構造というより病院の構造の問題なのかもしれない。