実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ジュリエット(茱麗葉)』(侯季然、沈可尚、陳玉勲)[C2010-08]

東京国際映画祭5本めは、同じく六本木ヒルズで『ジュリエット』(TIFF紹介ページ)。アジアの風・【台湾電影ルネッサンス2010〜美麗新世代】の一本。ジュリエットが主人公(ロミオも出てくる)というだけが共通点の三話オムニバス。

第一話は侯季然(ホウ・チーラン)監督の『ジュリエットの選択(該死的茱麗葉)』。徐若瑄(ビビアン・スー)主演。1970年代の台湾を舞台に、印刷所で働く女性とマルクス思想を紹介する小冊子を発行しようとする大学生の話。ゆるやかになってはきたものの、まだ思想や言論の自由がなく、密告が奨励されていた時代。外は雨が降り続き、陰鬱な空気が淀む印刷所内の雰囲気は、そんな時代の空気や、ヒロインが家族の中で置かれている位置を表しているかのようで印象的。

しかしながら、この短篇の感想をひと言で言うならば、「ビビアン、あんたいくつだよ?」である。このヒロインはおそらく20代前半、徐若瑄は35歳。痛々しくて見ていられない。ヒロインは足が不自由なので歩く姿も痛々しいし、彼女の気持ちも痛々しい。が、いちばん痛々しいのは顔である。たしかにすごくかわいいし、年よりずっと若く見えるし、お肌だってきれいだ。でもやはり、20歳の肌じゃない。顔が大きく映るたび、はらはらして物語に集中できない。

それから、短篇というのは、あまり起承転結をはっきり描くとダメだと思う。この映画の場合、冒頭で徐若瑄が電話をかけていて、そのあと大学の寮に警察が来たという話が出れば、彼女が密告したことは明らかである。種あかしはいらない。

相手役の大学生は、「この役は80年代だったら阿Bだな」とか思いながら観ていたのだが、これが王柏傑(ワン・ポーチエ)だったとはぜんぜん気づかず、不覚であった。『九月に降る風』[C2008-06]とものすごくイメージが違うのは、単に髪型のせい?

第二話は、沈可尚(シェン・コーシャン)監督の『ふたりのジュリエット(兩個茱麗葉)』。ヒロインが、中年のロミオから昔別れたジュリエットの話を聞くというもので、李千娜(リー・チエンナー)がふたりのジュリエットを演じているが、現在のシーンと過去のシーンとの区別がわかりにくい。過去のロミオとジュリエットは、お祭りなどで興行をする、布袋戲の人形使いと歌手。非常に台湾色が濃いところはいいが、この歌手の服やメイクが洗練されすぎ。今だってかなりケバいと思うが、数十年前ならもっとケバケバ、ダサダサだと思う。

第三話は、陳玉勳(チェン・ユーシュン)監督の『もうひとりのジュリエット(還有一個茱麗葉)』。康康(カンカン)主演。失恋したゲイのジュリエットが、自殺しようとしているときにCMの撮影隊に出会い、スカウトされて自殺し損ねてしまうというコメディ。随所に笑いが盛り込まれ、ゆるいストーリー展開、ハッピーエンドではないがこころ温まる終わりかたなど、短篇としてかなりよくできている。

CMの監督が、最初に自分の撮りたいものを撮り、次にスポンサーが満足するものを撮り、最後に自分の撮りたいものをもうひとつ撮り、やたらと時間がかかって出演者に嫌がられる(当然、スポンサーが満足するヴァージョンしか採用されない)。陳玉勳監督は前作以降CMを撮っていたということだが、この監督は自虐ネタなのか、それとも別の人がモデルなのか、知りたいところである。

上映後、侯季然監督、プロデューサーの李崗(リー・ガン)、徐若瑄をゲストにQ&Aが行われたが、次の映画の都合でパス。このQ&Aのレポートはこちら(LINK)。侯季然監督のインタビューはこちら(LINK)。徐若瑄のインタビュー動画はこちら(LINK)。