実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『ビー・デビル(김복남 살인사건의 전말)』(장철수)[C2010-53]

シアターN渋谷で、チャン・チョルス監督の『ビー・デビル』(公式)を観る。配給が決まっていたので、去年の東京フィルメックスでは観なかった映画。

小さな島で虐待されて暮らすボンナム(徐令姫/ソ・ヨンヒ)と、彼女の幼なじみで何事も見て見ぬふりをするヘウォン(チ・ソンウォン)。このふたりをヒロインにした復讐劇。直接の加害者だけでなく、傍観者をも同罪として復讐するという視点はたいへん興味深い。また、閉鎖的な過疎の島、暴力的で強権的な男、封建的な価値観とことなかれ主義によってそれを増長させる女たちといった、おどろおどろしくオカルトっぽい舞台は、観客を惹きつけて物語に引き込み、最後までおもしろく観させてくれる。

しかしながら、わたしとしてはどちらかといえば残念な点の多い作品だった。まず上述のおどろおどろしい舞台は、一般の都市住民にとってはあまりに異常な舞台設定と思われ、リアリティや普遍性を感じられない。またボンナムの境遇は、単にこのような島に育ったからというだけではなく、彼女と夫との固有の事情があることがのちに明らかになるが、最初のおどろおどろしい印象が強烈すぎて、そういったあとから出てくる事実の重みが薄れてしまっている。

とりわけ不満なのは、ふたりのヒロインに魅力が感じられないことだ。まずヘウォンは、冒頭で彼女のソウルでの生活が描かれているが、どうみてもふつうではない。都会での生活にはストレスが多いといっても、思い込みの激しさやそれに基づく行動は尋常ではない。ことなかれ主義や傍観者的態度の人というのはどこにでもいてむしろ多数派だし、大部分はごくふつうの人だと思うから、彼女を異常な人として描いてしまうのには賛同できない。

ヘウォンに関して最も気になったのは、トイレで転んだにもかかわらず、家に帰って服も着替えず風呂にも入らず、いきなりビールを飲み始めたことだ。しかも、翌日以降も同じ服を着ているように見えた。とにかく、「汚いなー、よく平気だなー」というのが頭から離れず、この時点ですごく引いてしまった。

ボンナムは、まずその吹雪ジュンと斉藤由貴を足したような外見と、にぎやかに感情を表出させる大げさな身ぶりが苦手である(朝ドラの斉藤由貴のウザさを思い出させる)。そのため、彼女の境遇に対してあまり同情を感じないし、パワフルな復讐劇にもあまりスカッとしたものを感じない。この映画はけっこうエロく、彼女はその大部分に関係しているいわばエロ担当でもあるのだが、彼女がエロくてもあまりうれしくないので、なんだか無駄にエロいという感じがする。

また、ボンナムの人格がどうもよく把握できない。ちょっととろくて薄幸そうな子役の雰囲気と、大人になってからのがさつな雰囲気とは同一人物と思えないし、彼女がヘウォンを呼んだ理由もよくわからない。助けてほしかったとは思うが、一方でヘウォンが昔から「とても親切だった」ことを彼女は忘れていない。友情や懐かしさとは別に、ヘウォンに対する同性愛じみた感情や、ヘウォンになりたい願望も抱いているようだが、その描き方が中途半端である。復讐にいたる過程には予測不可能なできごとが多数関連しているので、ボンナムが最初からヘウォンを含めた復讐を計画していたとも考えにくい。

わたしがボンナムに関して興味深いと思ったのは、ヘウォンへの同性愛的感情となりたい願望、子供のころのヘウォンの「親切さ」を強く記憶していること、夫とのゆがんだ夫婦生活といったあたりであり、それぞれつきつめればすごくおもしろくなりそうな要素であるだけに、これらが中途半端にばらまかれているだけで、十分に機能しているように思えなかったのが非常に残念である。