実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『修羅雪姫』(藤田敏八)[C1973-26]

銀座シネパトスの特集「梶芽衣子スタイル その魅力にはまる」(チラシ)で、藤田敏八監督の『修羅雪姫』を観る。録画でいいかげんに観たことはあるけれど、スクリーンでは初めて。

修羅雪姫 [DVD]

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梶芽衣子はきれいで目力があってクールだし、着物も粋だし、傘を使ったアクションもけっこうかっこいい。お話もおもしろいし、徴兵制などの時代背景も取り入れられているし、復讐の連鎖によってやられるエンディングも今日的でいい。しかしながら、おもしろいも美しいも、感じるのはアタマや心の表面だけで、どうも深いところに響いてこない。

それはなぜか。ひとつには、どうもわたしは梶芽衣子にあまり興味がないらしい。客観的にはいいと思うのだけれども。あまり生々しさが感じられないせいだろうか。

もうひとつは、やはりこのマンガっぽさというか劇画っぽさが苦手である。原作がそうだというだけでなく、映画にも一部使われているし、乞食の描写とか、ああいうのもダメだ。血がぴゅーっと出たり手足が飛んだりするのは、画としてはかなり好きなのだが、あまりに使われすぎていてインパクトがないし、画としておもしろいというより、やはり劇画っぽく感じてしまう。どうもこれが藤田敏八監督の映画だというのが信じられない。

また、雪(梶芽衣子)は社会的にはアウトローな存在だけど、実は敷かれたレールの上を素直に歩いている超優等生であるという点も受け入れがたい。彼女はどうして、自分に課せられた復讐という役目に疑念をいだかないのか。復讐にいたる経緯はかなり懇切丁寧に説明されているが、相手の極悪さを丁寧に強調されるほど、逆にリアリティも納得性も遠のいていく気がする。ヒロインは葛藤しないという方針でいくのならば、経緯はサラッと流したほうが納得性が高い場合もある。

そんななかで、深層まで心を動かしてくれるのは、こわーい中原早苗である。こわくて、邪悪で、すばらしい。梶芽衣子の相手役もどきが黒沢年男というのはショボすぎるが、それにひきかえ、悪役は岡田英次中原早苗仲谷昇。なんて豪華なの。

妙な配役といえば、雪の「調教係」の西村晃。わたしの西村晃イメージからすると、雪ちゃんはおとしごろになったらぜったい西村晃に手籠めにされる。育ててくれて、武術の訓練をしてくれて、何も要求しないなんてあり得ない。そういえば西村晃版『水戸黄門』は観たことがないが、観たらきっと、いちいち西村晃がよからぬことをするんじゃないかと気をまわして疲れるだろうな。