実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『男の顔は履歴書』(加藤泰)[C1966-13]

J先生の用事で日本橋へ寄り、うさぎやでどら焼きを買ったりしてから神保町へ移動。歩いてアテネ・フランセへ。アテネ・フランセ文化センター(公式)の特集「世界のなかの日本映画」(公式)で、加藤泰監督の大傑作、『男の顔は履歴書』を観る。加藤泰で最も好きな映画だが、DVDは一向に発売されないし、スカパーでも長らくやらない。それが上映されるなら、雨の日のアテネ・フランセでも行かねばなるまい。

スクリーンで観るのはこれが4回め。これまでは褪色した赤白フィルムだったが、今回の英語字幕つきフィルムは、ふつうにきれいなカラーだった。久しぶりに観ると、台詞がちょっと芝居じみていたり、幾分台詞に頼りがちだったり、演技が一部熱すぎたり(伊丹一三、あんただ)、音楽が叙情的に盛り上がったりするのが気になったものの、やはりたいへんすばらしい。

安藤昇中谷一郎が三度出会う運命のドラマ。一度めは戦場で、上官と部下として。二度めは戦後の混乱期、闇市マーケットの地主とその乗っ取りを企む三国人ヤクザの助っ人として。三度めは現在、場末の診療所の医師と瀕死の重症を負った交通事故患者として。毎回、死に直面する緊張した場面でふたりは運命的に出会い、やがてそこに中原早苗が絡んでいく。それらが三つの時代を行き来しながら巧みに描かれ、全く緊張感が緩むことがない。三人が一堂に会し、医者としての誇りを賭けた安藤昇と命を賭けた中谷一郎との三度めの邂逅が、さあこれからというところで終わるのもいい。

この映画(松竹映画である)は、一見、東映ヤクザ映画と似た構造をしているが、実は全く異なっている。ヤクザ映画は、基本的に集団対集団の戦いである。最後に主人公がひとりで殴り込みに行ったとしても、それは組のため、親分のため、あるいは虐げられている町の人々のためであり、常に集団を背負っている。一方『男の顔は履歴書』では、安藤昇中谷一郎中原早苗も、基本的に個人の論理で個人として行動する。

マーケットで商売をしている庶民とマーケットを乗っとろうとするヤクザの争いは、一見、虐げられた被害者と無法者という、善と悪との戦いのように見える。しかし町の人々は、個人をみる前に日本人とか朝鮮人とかいうラベルで人を見てしまい、それは簡単に日本人対朝鮮人(あるいは三国人)の争いへと拡大してしまう。だから、安藤昇は町の人々を代表する立場には立たないし、ましてや日本人を背負ったりもしない。彼はあくまでも弟・伊丹一三(伊丹十三)を殺された個人として、たったひとりでヤクザに立ち向かう。中谷一郎も、一度は朝鮮人のための戦いと信じてヤクザの助っ人になるものの、誰よりも尊敬する安藤昇(それは彼が沖縄で、米軍に降伏して部下や住民を助けようとしたからである)と再会した結果、仲間を裏切って伊丹一三を助けようとする。そんな彼らは、多くの人からヒーローとして迎えられることは決してなく、個人の戦いを孤独に続けていくほかはない。

安藤昇がたったひとりで戦いを挑む相手は、実は横暴なヤクザではなく、個人への憎悪が民族に転嫁されたり、国家への憎悪が個人に転嫁されたりするような状況であるともいえる。三国人ヤクザが自分たちの野望のために、これまで日本人にされてきたことへの仕返しという大義名分を掲げることは、民族間の憎悪を煽り、差別を助長することにしかならない。一方、三国人がヤクザになり、善良な人々までその下で働かざるを得ないのは、彼らに対する差別が一因である。このように歴史や感情が複雑に絡みあった状況下で、憎悪と復讐の連鎖を断ち切ること。それは極めて今日的なテーマである。「日本人はついて行くのが得意」「日本人はすぐに忘れる」といった台詞も印象的。

安藤昇中谷一郎中原早苗というレアな組み合わせと、テンションの高い人が多いなかで常にクールな安藤昇中谷一郎がとにかくすばらしいので、ほかの出演者のことはあまり憶えていなかったが、冒頭のクレジットを見てかなりの豪華キャストなのに驚く(アラカンは憶えていたが)。九天同盟のボスって内田良平だったんだ。眉毛のないメイクで顔の表情も変わっていてびっくり。ヤクザに扮した菅原文太の暴れっぷりも豪快。「もみあげが短すぎる」ごっこが当分流行しそうだ。伊丹一三と恋に落ちる朝鮮人女性を演じた真理明美も可憐でよかったが、「この人誰?」と思ったら、須川栄三監督の奥さんらしい(映画界ではあまり活躍していないようだ)。目の前で展開するすごいドラマに仰天している看護婦役の香山美子もなかなか印象的。

三島雅夫田中春男が登場したときは、隣のJ先生から「うれしい光線」が発せられてまいった。娘を殺されてその仕返しに行く父親というのは、全く田中春男らしからぬ役柄。関係ないけれど、J先生に「トヨタの社長ってアタマ悪そう」って言ったら、「田中春男に似てるからでしょ」と言っていた。

とにかくすばらしい映画なので、ぜひともDVDを出してほしいし、衛星劇場で放映してほしい。おたの申します。

とんきでひれかつを食べて帰る。