シネマート六本木で、ロバート・ログバル監督の『神の子どもたちはみな踊る』(公式)を観る。村上春樹の短篇集『神の子どもたちはみな踊る』[B286]の表題作の映画化。2007年の映画なので、今ごろ公開されるのは『ノルウェイの森』の便乗企画としか考えられない。原作は読んでいるはずだが、ぜんぜん憶えていなかったので、昨日慌てて読み直した。お○○○んが誰よりも大きい主人公が出てくる小説なんて、憶えていてもよさそうなものなのだが。
映画では、舞台が東京からロサンゼルスに変えられ、主人公は、母親が中国系で、名前がケンゴで(原作では善也)、コリアンタウンに住んでいるという設定。この設定はおもしろい。ストーリー自体はだいたい同じだと思うが、おそらくは時間が複雑になり過ぎないように、設定や順序がいくらか変えられている。いくつかの過去の話を現在にしてしまったために、焦点がぼけてしまっているように感じられる。終わり方もよくない。地震もロサンゼルス地震に変えられていて、意味合いが大分異なる。
結局のところ、村上春樹の文体、あるいは読後感のようなものが表現できていない(わざわざ三人称で書かれた小説を選んでいるから、ということもある)。とりわけ、ケンゴ(ジェイソン・リュウ)が父親らしき人を見つけてあとをつけるところの雰囲気が違う。「耳たぶの欠けた男」ということばで喚起されるイメージのほうが、実際にそれを映像で見せられるよりずっと豊かである、ということもあるとは思うが、小説にある幻想的な感じが出ていない。路線図を見せたりいろいろ工夫はしているけれど、郊外に向かっていくある種のわびしい感じもあまり出ていない気がする。
陳冲(ジョアン・チェン)演じる母親イヴリンは、色っぽくてなかなかよかった。原作によれば「善也の母親は43歳だったが、30代半ばにしか見えなかった」ということだが、さすがに30代には見えない。43歳もちょっときびしいのでは。