実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『胡同のひまわり(向日葵)』(張楊)[C2005-36]

張楊(チャン・ヤン)監督の新作、『胡同のひまわり』(公式)を観に、嫌いな映画館、ル・シネマへ行く。サイトに40分以上前に来いと書いてあったが、初回は満席にならなかった。

張楊監督の映画が特に好きなわけではなく、はっきり言ってそんなにたいした監督だとも思っていない。普遍的な感情や人間関係を、中国ならではの風物や歴史を適度に絡めつつ描き、国内外で広く共感される良心的な商業映画を作っている監督、というのが張楊の印象。現代においてはそれはそれでけっこう貴重だが、それだけなら特別観ようとは思わない。『スパイシー・ラブ・スープ』、『こころの湯』(asin:B0002ADHNK)、そして『胡同のひまわり』と観ているのは、彼が一貫して北京を舞台とした映画を撮り続けているからだ。

本作もやはり上述のような印象の作品である。北京に住むある一家の30年が、父親と息子の確執を軸に、政治、社会、暮らしの変化を絡めて描かれる。お父さんの心情は独白によってしか表出されないので、息子の向陽とであれ、同僚の老劉とであれ、(恐れていた)感動的な和解の場面は免れているが、全体にもう少し淡々としていたほうがいい。父親と息子のどちらかが正しいというようには描かれていないが、息子夫婦が子供をもつ決断をするという結末は、個人的には好きになれない。また、せっかく政治・社会の事件が盛り込まれているのに、「1976年」とか「1年後」とか字幕で出るとがっかりする。事件やニュースをうまく生かし、字幕なしでわかるようにしたほうがいい。それから、あいかわらず音楽がうるさい。

一家が住んでいるのは伝統的な四合院だが、ひとつの四合院が多数の家族で分割されている。そのためもあって、四合院の門を入ってからの迷路のような様子がおもしろかった。60〜70年代のシーンでは、(実際は存在する高層ビルが映ると困るので)四合院塀の中のショットが多く、時おり四合院全体が俯瞰される。一方、80〜90年代になると、四合院の低い塀の向こうに建ち並ぶ高層アパートを見せるアングルが増える。

私は北京の胡同が好きで、故宮よりも頤和園よりも誇るべきものだと思っている。一方で、老朽化や水回りの不便さやプライバシーのなさなど問題も多く、実際に住む人の立場に立てば、単純に保存を訴えるのも無責任だとも思う。この映画では、胡同の暮らしを特に好意的に描いているわけではなく、アパートに住みたがるお母さん(陳冲が演じているが、彼女にこういうパワフルなおばさんは似合わない気がする)についても、否定的には描かれていない。しかし、映画の中で胡同が取り上げられることが、胡同の見直しや保存への何らかの助けになることを願っている。

ところで、中国映画といえば8月半ばからの三百人劇場「中国映画の全貌2006」。タイトルが全貌でも中身は全貌ではないのは当然としても、これが三百人劇場の最後の映画上映では寂しすぎる。必見の映画も5本くらいは入っているが、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)も章明(チャン・ミン)も王小帥(ワン・シャオシュアイ)も婁菀(ロウ・イエ)もない中国映画特集ってどうなの?考えてみれば、三百人劇場のほかの特集はすごいけれど、中国映画特集はいつも冴えないような気がする。初公開の映画もあまりぱっとしないし。