実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『長春五馬路』(木山捷平)

長春五馬路』読了。

長春五馬路 (講談社文芸文庫)

長春五馬路 (講談社文芸文庫)

日本の敗戦後、名前を新京から元に戻した長春が舞台。1945年末から翌46年5月頃まで、ソ連の占領軍が去って国民政府の支配下にあるところから、内戦が始まって八路軍支配下になり、また国府軍支配下に戻るところまでが描かれている。木山捷平の小説を読むのは初めてだが、上述のような小説の舞台から、読もうと思った理由は明らかだろう。

内戦下で敗戦国民として暮らし、自分の才覚で食べていかねばならず、帰国できるかどうかもわからない。そのような厳しい状況のなか、露店のボロ屋を開業して生計を立てている木川正介の日常が、淡々とというか飄々と綴られている。彼は妻子を置いて満洲くんだりまで来たことを後悔し、心の底では帰国を願っている。だけど叶う見込みがないので努めて考えないようにしている。だから表面上はけっこうのんきに見える。彼の置かれている境遇を心底厳しいと思える人は、陽と陰というか、ポジティヴとネガティヴというか、そういうのがほどよくミックスされて感じられると思う。私の場合は、頭ではわかっていても、「長春に住んでいて羨ましいな」というのが先に立つし、望郷の念だとか日本に帰りたいだとか、そういった感情はあまりピンと来ない。だから、ボロ屋としてだんだんとコツをつかんだり、若い中国人未亡人との結婚を妄想したり、なぜかやたらと女性にもてたりする正介の生活は、かなり楽しそうに思えてしまう。

いろいろな紙幣が出回っていて情勢の変化によって使えなくなったり、中国人は戦争などの情報をいち早く仕入れていたりというような、生々しい細部がおもしろかった。次の会話も興味深い。

「…お前は五族協和、王道楽土という言葉を知っているか」
「知っているとも。耳にするさえ、身の毛のよだつような言葉だ」(p. 196)

最初のが中国人の台詞、あとのが正介の台詞である。

正介が露店を開く五馬路は、中国人の街「城内」である。城内というからには旧・長春城内なのかと思ったら、そうではないらしい。五馬路というのも、通称かと思ったら実際に西五馬路、東五馬路で、この名前は現在も変わらない。場所は、新京の地名で言うと、南北は新京駅と大同広場の中間、東西は新京駅と宮内府の中間のあたり。満鉄附属地内である(長春城はずっと南東にあった)。城内であったかどうかにかかわらず、繁華街を「城内」と呼ぶことがあるのだろうか。

一方、正介が住んでいるのは南長春。宿舎のある清和街というのはどこかわからなかったが、南新京駅のあたりだと思われる(現在の長春南站とは異なる)。ここは長春の南西部で、満映に比較的近い。

ほかには、大同大街(現・人民大街)、三中井百貨店、順天国民学校、牡丹公園なども出てくる。二馬路から東四道街へ行く途中で宮内府が見えるというところは(p. 155)、どう考えてもおかしい。最後は建設中の満洲国帝宮の廃墟で終わる。ある意味、衝撃のラストだ。帝宮はその後完成し、私が訪れたときは長春科技大学になっていた(参照)が、『観光コースでない満州』(ISBN:4874983529)によれば現在は吉林大学のようだ。調べてみたら、合併したのは2000年6月ということなので、私が訪れたときにはすでに吉林大学になっていたようだ。同様に白求恩医科大学吉林大学になったらしい。まだ看板が変わっていなかったような気がするが。いろいろと勉強になる。