実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ご臨終メディア』(森達也、森巣博)

森達也森巣博の対談本、『ご臨終メディア - 質問しないマスコミと一人で考えない日本人』読了。

前から気になっていたけれど買っていなくて、集英社新書の別の本を買ったついでに購入。「ついでに買おうかな」と思って目次をナナメ見していたら、「なぜ石原慎太郎を「極右」と呼ばないのか?」という項目があったので即購入(明らかに「極右」であるということが明快に書いてあります)。

メディアと民意の関係、ジャーナリストの葛藤のなさ、被害者への過剰な感情移入や報復感情、想像力の欠如、用語の問題など、日頃マスメディアに対して感じている違和感や疑問を、軽快かつおもしろく代弁してくれる本。印象に残ったところを一部引用しておく。

森巣:…視聴者がほしいものを、メディアは作っていく。でもその視聴者が欲しいと思うものを作ったのは実はメディアでしょう。
森:視聴者は、形にならないニーズを欲望して、それに対してメディアが形を与えるわけです。(p. 95)

森:……悩み続けることがジャーナリストの仕事です。なぜなら現実は、人間ごときに解析できるほどに単純ではありません。…(p. 112)

森巣:だからこそ、メディアは、現実に起こっていることを、正確に伝えなくてはならない。こういう事態を止められなかったのは、私たちすべての責任なんだという自覚を促すためにも必要なのです。これこそ「自己責任」。イラクで子供たちが死んでるのは、私たちの責任なのです。質問する能力を奪い、自己の保身しか考えていない権力。質問もしない、報道もしないメディア。考えない、抗議しない私たち。そこを崩すためにも、メディアには多様な情報を伝える義務がある。……(p. 132)

森:…まず善意が発火点になって、事象がどんどん進むうちに麻痺が始まり、妄想が始まり、「われわれ」と「かれら」との二分化が始まり、気がついたらとんでもないことになっていた。そういう構造なのではないか。…(p.194)

森:メディアにおいては、善意とわかりやすさは、とても相性が良いんです。事件が起こると、すぐに結論を出してわかりやすく提示する。よく吟味もしないうちに、解説を施して、決めつける。曖昧な部分を提示しても受け取る側は納得しない。数字も落ちる。だからわかりやすさが、メディアにおいては至上の価値になる。でもこの営みを、利潤最優先の帰結とは認めたくない。だから自分を正当化するんです。使命感と言い換えてもよい。こうして事象や現象をわかりやすく簡略化する悪循環の構造に飲み込まれてしまう。(pp. 197-198)

森巣:……ところが、わからない、理解できない相手は、はじいてしまう。北朝鮮の手先だ、アルカイダの兵士だ、テロリストだ、非国民だと排除してしまう。なぜかは理解できないけれど、テロリストたちがあれだけのことをするには、それなりの理由があるんだと考えることができない。わからないのなら、なおのこと相手を知ろうとするために、その考えを聞き、知ろうとするべきにもかかわらず、わからないからといって徹底的に差別する、排除する。……(p. 199)

マスメディアだけが問題なのではなく、私たち一人一人のあり方も問われている。「考えない、抗議しない私たち」というところを、安易に読み飛ばしてはならないと思う。