実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『女三人のシベリア鉄道』(森まゆみ)[B1339]

『女三人のシベリア鉄道』読了。

女三人のシベリア鉄道

女三人のシベリア鉄道

かつてシベリア鉄道でパリに向かった与謝野晶子、中條(宮本)百合子、林芙美子の足跡を追いながら、ウラジオストクからパリまでを文学散歩的に旅したシベリア鉄道旅行記。わたしは、サハリンと沿海州とモスクワには死ぬまでにぜったい行きたいけれど、シベリア鉄道自体にはそれほど興味があるわけではない。取り上げられている三人の作家も、林芙美子をちょっと読んでいるくらいで、あまり興味がない。そんなわけで、かなり迷ったあげくに買った本だったけれど、結果的にはとてもおもしろかった。

やはり、特別好きな作家ではなくても、対象の作品を読んでいなくても、文学をテーマにした旅というのに共感するし、読んでいておもしろい。引用もふんだんにあるし、途中下車した都市でもゆかりの場所を訪れている。旅としても旅行記としても、けっこうディープなところに好感がもてる。

また文学とは別に、ロシアに対する距離感みたいな点でも著者に共感するところがあった。いまのロシアは、ソ連時代のものは何でも否定したり、ロマノフ朝の皇帝たちを崇拝したり、ロシア正教が復活して盛り上がったりしている。でもかつて、多少なりともソ連に興味をもったり憧れたりした者としては、そんなに単純に「何もかもすべて間違いでした」という気にはなれない。著者とわたしとは世代が違うけれど、そういうところには共通するものがある。著者がいまのロシアを見たり、若者たちの話を聞いたりして、なんとなく戸惑ったり距離感を感じているみたいなところに共感した。

やはりロシアはおもしろそうだし、スターリン建築も見たい。しかし、経路を決めて切符やホテルを全部手配しないとヴィザが下りないそうで、ちょっとひいてしまう。ロシア語が、「ウラー」とか「スパシーバ」とか「クトーエタ?」とか「エタドーム」(←J先生の得意のフレーズ)とかしかわからないのも不安材料だが、冒頭に「外国語も全くできない与謝野晶子でもひとりでシベリア旅行ができたのだからわたしにも行ける」みたいなことが書かれていて、「それならわたしも行ける」と俄然勢い込んで読みはじめた。ところが、著者は日本に来ているロシア人留学生を旅の道づれに選んでいた。騙された。

パリまでのシベリア鉄道の旅のあと、著者は、東清鉄道からシベリア鉄道へ入った林芙美子の足跡を追って、長春からハルビンまでの旅もしている。こちらはわたしも体験しているので楽しみだったが、どうも著者は、中国に対してはロシアほど寛大ではないらしくて残念。もう少し寛大になれば、中国の旅ももっともっと楽しめるのに。

1912年、与謝野晶子。1927年、中條百合子。1931年、林芙美子。少しずつ異なる年代にシベリア鉄道に乗った三人の女性作家だが、その体験が小説になっているぶん、中條百合子の部分が最も興味深かった。『道標』、長そうだが、そのうち読もう。しかし、のちにプロレタリア作家になる中條百合子の旅がいちばんリッチでセレブっぽくて、モスクワで後藤新平に会ったり、ウィーンで山下奉文に会ったりしているのが皮肉である。山下将軍はどうでもいいが、後藤新平シベリア鉄道の旅については興味がわいた。