実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『[薛/子]子(げっし)』(白先勇)

『[薛/子]子』([薛/子]は一字で書けるが、そうするとSafariで文字化けするので、やむを得ず分解)読了。黄金週前に注文したのに2週間もしてから届いたので、やっと読み終わった。なかなかおもしろかった。

Nieh-Tzu (げっし)  新しい台湾の文学

Nieh-Tzu (げっし)  新しい台湾の文学

1970年の台北を舞台に、ゲイの少年たちを描いた小説。ゲイであるがゆえに学校も家も追われた主人公、阿青が、新公園のゲイのコミュニティに加わり、半年あまりの間に様々な体験をして成長していくというもの。ゲイというテーマが直接的に描かれているわけではなく、どちらかといえば、父親の期待を裏切り、家庭や学校といったそれまでにいた「まともな」社会にいられなくなる原因として描かれている。また、阿青をはじめとして登場人物の多くは父親が外省人で、大陸反攻といった概念が完全に過去のものになり、世界の中での台湾(中華民国)の地位が変化しつつあるなかでの社会の閉塞感や不安定さを背景にしている。

この小説は、1986年に虞勘平監督によって映画化され、2003年に公共電視によってドラマ化されているが、私はどちらも未見である。ただ電視版の主人公を演じているのが范植偉(ファン・チィウェイ)だということで、最初から范植偉をイメージしながら読んだ。

この小説を読んでいると、いろいろな映画を連想する。阿青の実家の描写や家庭環境は(主人公が范植偉ということも手伝って)『きらめきの季節/美麗時光』を連想させるし、少年たちのコミュニティや、龍子と阿鳳の事件は、『牯嶺街少年殺人事件』を強く連想させる。阿青が退学になった高校は「育徳中学」となっているが、「育徳中学は南海路にあり」(p. 418)、「育徳中学の塀は赤レンガを積んだもので」(p. 419)、「学校の向かい側、植物園の入り口」(p. 424)、「植物園は私たち自身の庭のようなものであり」(p. 427)といった描写から、『牯嶺街少年殺人事件』と同じく建國中學が想定されていることは明らかである(しかも夜間部である)。さらに、堕落しそうな環境にいながら自分を見失わずに向上しようとする主人公、阿青は、『風櫃の少年』の阿清を連想させる(名前も似ている)。ついでに言うと、阿青の母親が克難街に住んでいるというところは『青春神話』を連想させる。

この小説の魅力のひとつは固有名詞の多用である。上述の引用からもわかるように、台北市内の通りや場所の名前が実名でたくさん登場し、台北を多少なりとも知っている者にはたまらない。飲食店などの名前は架空のものもあると思うが、実名のものもある(一条龍とか)。台湾語映画や台湾歌謡の名前も出てくるが、日本の俳優も出てくる。1970年という時代設定にしてはちょっと古い感じのラインナップがまたいいので、以下に引用しておく。

「…あの男が『悲情城市』に出演していたころは、そりゃあはつらつとしておった。みな彼を台湾の宝田明と言っていたものだ…」(p. 99)

「おお、こいつは桃太郎と言ってな、ごらん、どこか小林旭に似ておらんか?…」(p. 103)

「『好色一代男』を林サンは見たことがありますか?」…
池部良が出演していたものです」小玉が言った。「彼は映画の中で、白い繻子の和服に黒の緞子の帯を締めていました。めちゃくちゃ粋でしたよ!…」(p. 137)

「学校のあのバカ野郎どもが、一日じゅう俺のことを浅丘ルリ子って呼んでたんだ。…」(p. 176)

「『好色一代男』を見たことあるか、阿青?」…
池部良が本当にかっこいいんだ! 真っ白い和服を着て、桜の木の下に立って…」(p. 192)

好色一代男』という映画は、1961年の増村保造監督、市川雷蔵主演のもの(もちろん池部良は出ていない)しかないようだが(私は未見である)、白先勇が間違えているのか、それとも小玉が勘違いしているという設定なのかよくわからず、真相が知りたい。ただ、ここが「市川雷蔵が…」となっていたら、ちょっとがっかりな気がする。