実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『桃さんのしあわせ(桃姐)』(許鞍華)[C2011-47]

Bunkamura ル・シネマで、許鞍華(アン・ホイ)監督の『桃(タオ)さんのしあわせ』(公式)を観る。

  • 脳卒中で倒れたメイドの桃姐(葉徳嫻/ディニー・イップ)と、雇い主の息子ロジャー(劉徳華アンディ・ラウ)とのふれあいを、しっとりかつ淡々と描いたいい映画だと思う。けれども、主役のふたりが聖人すぎて、心を動かされる前に「わたしにはぜったいできない」というのがどうしても先に立ってしまう。
  • 桃姐とロジャーは次第に親子以上ともいえるような関係を築いていくのだが、それには、そもそも親子と同様の関係という側面と、親子ではないからこそという側面とがある。親子と同様というのは、ロジャーは桃姐に育ててもらっていて、幼時に濃密なスキンシップがある。面倒をみてあげられるというのは、血のつながりよりもむしろそういうところから生まれてくるものだと思う。
  • 親子ではないからこそというのは、実の親子の場合、ふつうはネガティブな感情などを遠慮なくぶつけてしまって関係が険悪になる。ここで桃姐とロジャーが対等な関係であれば、ほどよい距離感が感情をむき出しにしない思いやりある関係につながった、といえるのだけれど、問題は桃姐が使用人であるということだ。病気の辛さや不自由さ、老人ホームの不快さなど、マイナス面すべてを桃姐の諦めと我慢によって飲み込んだ上に、ふたりの穏やかな関係は成り立っている。それは桃姐が幼いころから使用人として身につけざるを得なかった、分をわきまえた態度や多くを望まない生き方と無関係ではない。
  • 親の介護や看病をしていて、言ってもしかたのないことはできるだけ心の中にしまっておいてくれれば、どれだけ良好な関係が築けて、お互いに気持ちよく過ごせることだろうと何度も思った。しかし実際に心の中にしまっている桃姐を見ると、かなり不自然に感じてしまう。桃姐は、我慢することでストレスを溜め込んだりしない、たいへん優れた心根の人だと思うが、ふつうの人にそれを見倣えといってもなかなかできることではない。
  • 結局これは、聖人と聖人が出会って生まれた類い稀な物語であり、だからこそ実話に基づくということが強調される必要があるのであって、決して「わたしたちの物語」ではない。同じく実話に基づく『わたしたちの宣戦布告』が、実話かどうかはどうでもよくて「わたしたちの物語」であると感じられたのとは、ある意味対極にある映画であった。
  • 許鞍華監督の映画は、ほとんどが家族の形というものを模索しており、これもそうだと思う。しかし上述したように、桃姐とロジャーの関係は、彼らの対等ではない関係と切り離せないものであり、そこに今日的な、あるいは未来に向けての意義を読み取ることはなかなか難しいと思う。
  • 映画業界人なのに地味で、ことあるごとに老眼鏡を取り出すロジャーを、劉徳華がスターオーラを消して演じていたのはなかなかよかった。また、豪華なゲスト陣には楽しませてもらった。しかし、秦海璐(チン・ハイルー*)に気づかなかった(観ているあいだずっと「この人誰だっけ?」と思ってモヤモヤしていた)のがショックだ。