実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『夜と霧(天水圍的夜與霧)』(許鞍華)[C2009-15]

許鞍華(アン・ホイ)2本めは『夜と霧』。『生きていく日々』と同様、天水圍を舞台にしたシリーズ第二作。地味なキャストだった前作とは異なり、張靜初(ジャン・ジンチュー)、任達華(サイモン・ヤム)というスターを配した本作は、天水圍で実際に起きた無理心中事件を題材にしたもの。冒頭で事件が伝えられたあと、隣人や友人、家族の証言を交えながら事件に至るまでの日々が綴られている。

楽しい内容の映画ではないことはなんとなく知っていたけれど、詳細は知らず、「任達華が出てるんだよね、るんるん」と思って観にきたのはとんでもない間違いだった。任達華の役は、一見ふつうのおっさん、実はストーカーDV夫。任達華のヘンタイ役は決して珍しくないが、これまではかっこいいことが前提のヘンタイだったのに対して今回はそうではなかった。

ある結末を避けるためにあらゆる努力が払われながら、あらかじめ定められた結末に向かってじりじりと進んでいくさまが、緊迫感たっぷりに描かれている。画面に写る任達華は、暴力的で変態的な恐ろしい夫であり、画面に写る張靜初は、美しくも儚い、か弱き犠牲者である。しかしほんとうに恐ろしいのは、夫の暴力や避けることのできない悲劇ではない。任達華は昔からDV夫だったわけではなかった。前の結婚ではそんなそぶりはみられなかったし、張靜初と知りあってからも、しばらくは優しい男性だったのである。

転機となったのは、張靜初の妹との出会いである。そのことは、映像でも、任達華の台詞でも、繰り返し暗示される。しかし、実際にどういう経緯で何があったのか、張靜初はそれをどうやって知ってどう対処したのか、その部分は謎に包まれている。張靜初は、実は一方的な犠牲者ではないかもしれない。任達華の暴力的な傾向が、彼自身がもともともっていたものであるにしても、それはあなたやわたしももっているものかもしれない。わたしたちもある日突然、任達華にならないとは限らない。

ところで、『生きていく日々』と『夜と霧』が公開されるとしたら(ぜひともしてほしいですが)、邦題は原題どおり、『天水圍の昼と夜』、『天水圍の夜と霧』とするべきだと思う。

上映後はトークショーがあったが、許鞍華監督がくるわけではないのでパス。Sakura食堂で揚げてないけどアジフライ香草タルタル定食を食べて帰る。