実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『J・エドガー(J. Edgar)』(Clint Eastwood)[C2011-33]

渋谷シネパレスで、クリント・イーストウッド監督の『J・エドガー』(公式)を観る。

J・エドガー Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)

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FBI初代長官を50年近く務めたジョン・エドガー・フーヴァーを描いた映画。この男は、アメリカそのものというか、アメリカを絵に描いたような人物である。客観性のない独善的な正義感、正義のためなら何をしてもいいという考え、個人と国(アメリカ)との一体化、相容れない思想をもつ人や犯罪を犯した人に対する「何が彼女をさうさせたか」についての想像力の決定的な欠如…。好人物を共感をもって描く映画ではないが、だからといって否定的に描くのでもない。良くも悪くもこれがアメリカということか。

晩年のジョン・エドガー・フーヴァー(レオナルド・ディカプリオ)が、回顧録を作成するため記録担当者に自分の半生を語るという形式をとりながら物語は進んでいく。現在の彼の姿と過去の彼の姿が、時間を複雑に行き来しながら巧みにリンクして描かれるため、すべてが伝記的事実であるかのように思わされてしまうのだが、過去の彼の姿の大半は、実は現在の彼が話した彼、彼が回顧録に残したいと思う彼であって、決して事実ではないのである。そのことは、冒頭彼が語りはじめたときにかなりはっきり明示されているにも関わらず、思わず騙されそうになる。そしてそんな彼の虚栄心もまた、彼のキャラクターを示す重大なポイントである。

システムや組織や科学に絶大な信頼を置いていながら、個人的な愛情や信頼に基づく人間関係で身のまわりを固めているのも興味深いところ。最愛の母(ジュディ・デンチ)と、気に入った女・ヘレン(ナオミ・ワッツ)と、好きな男・クライド(アーミー・ハマー)。気に入った女を個人秘書にし、好きな男を副長官にする。彼を守ったのは、そういった個人的な愛情や信頼なのである。

エドガーとクライドの雰囲気がだんだんアヤしくなってきたので、「感想文で思いっきり妄想しようっと」とニヘニヘしながら観ていたら、妄想するまでもなくそういう展開になってしまった。だれもBL映画(違う)だとか言ってなかったじゃないの。アカデミー賞に無視されたり、公開劇場が少なかったりするのは、このことと関係があるのかないのか。

主要な人物は、老けメイクを駆使して数十年を同じ俳優が演じている。ヘレンが老けていくのは、老けメイクがうまいとかそういう問題ではなしに妙にリアルで痛々しい。クライドの老けメイクは、仮にモデルの人がそのような外見だったとしても、ちょっとあんまりだと思う。

リンドバーグの息子の誘拐事件という、だれもが同情する事件をきっかけにFBIの権限が拡大されるところに現代性を感じた。子供と無差別テロ、同情と恐怖。昔も今もこのふたつが、人々が知らず知らずのうちに民主主義を捨て去る大きなポイントだと思う。