実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『鉄西区 第2部:街(鐵西區 艷粉街)』(王兵)[C2003-36]

オーディトリウム渋谷の特集「ワン・ビン(王兵)全作一挙上映!」(公式)で、『鉄西区 第2部:街場』を観る。175分。

『第1部:工場』[C2003-35]と同じく、1999年から2001年にかけての遼寧省瀋陽市鐵西區を描いたドキュメンタリー。今度は、鐵西區の国営工場で働く人々が住む街、艷粉街に焦点を当てる。

この映画で描かれるのは、親が国営工場で働いている、17、18歳の少年少女たち。第1部のような匿名の大勢の人々ではなく、10名に満たない程度の、名前をもった特定の子供たちが登場する、群像劇風の構成。10代にしては老けて見える子供たちは、学校へ行っている子もいるが、多くは学校へも行かず働きもせずブラブラしており、街で唯一のお店のように見える食料雑貨店にたむろしている。前半は、彼らの日常生活や子供っぽい恋愛模様が描かれるが、やがて街の再開発によってもたらされる立ち退き問題に焦点が移っていく。登場する子供たちは、実は、家族が立ち退きを拒んで最後まで居座る家の子供たちなのである。

この第2部の邦題は『街』だが、原題は“艷粉街”。艷粉街だけが描かれているわけではないが、艷粉街は出てくる地域の中心的な通りであると思われる。どれが艷粉街かは明示されないが、おそらく少年たちがたむろする食料雑貨店のある通りだろう。目抜き通りといっても、舗装もされていないくねっとした通り。まわりには、平屋建ての社宅や公営住宅が並んでいる。煉瓦造りもあるが、大半は灰色の壁の粗末な家。映画は、第1部で工場の変化を描いたのと同様に、立ち退きによって艷粉街界隈の家が次第に無人になり、取り壊され、空き地が広がっていくさまを描いている。

出てくるのは美しさとは縁のなさそうな風景だが、艷粉街のたたずまいや、規則性なく建てられているような家並みや、どの家にも煙突があるところや、そんな風景にすごく惹かれる。少年たちの家はさらに細い路地を入ったようなところにあって、そんな路地のたたずまいもいい。第1部と同様季節が移ろっていき、砂埃が上がって暑そうな、短い夏の部分が格別だった。

しかし空き地が広がっていくと、やはり雪との組み合わせがすばらしい。ラストシーン、一面の雪の中、壁の一部だけがニョキニョキ立っている廃墟のような風景に、さらに雪が降りしきる。なぜか電話のかかってきた人を捜すところで唐突に終わるのも印象的だ。四月の雪だが、東北ではめずらしくないのだろうか。

この艷粉街がある地域は、鐵西區のいちばん南の部分である。工業地帯があるのは鐵西區の北のほう。冒頭で、「艷粉街は昔、女中を埋葬したところ」という説明があるが、1939年の地図を見ると、この地域は鐵西區には入っておらず、永信區というところだ。鐵西區は満洲国時代に開発されたところなので、道路が格子状になっている。ところが艷粉街のあたりは、自然にできたようなくねっとした道しかなく、鐵西區とは全く趣が違う。ところどころ集落があるものの、完全に郊外である。工業地帯のすぐ南には、格子状の通りがかなり細かく走っている地域があり、細かく番地もふられているので、ここに、主に日本人向けの社宅が建てられたのではないかと想像する。そして戦後、そこには幹部や管理職が住み、増加する下層の工場労働者を住まわせるために住宅地を南方へ広げて鐵西區に組み入れたのだと思う。

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立ち退きの顛末については、『水没の前に』[C2004-43]、『長江哀歌』[C2006-21]、『長江にいきる - 秉愛の物語』[C2008-20]などの三峡ものでさんざん観てきたので、ちょっと新鮮味がなく感じられた。もっとも、この映画が先に作られているので、先に観ていなかったわたしが悪いのだが。

第1部と同様、歌が映画の重要な要素になっているが、今度は歌謡曲である。“愛你一萬年”(『時の過ぎゆくままに』のカヴァー)や王菲(フェイ・ウォン)の曲(知っている曲だと思うが、短くてわからなかった)が出てくるし、ほかに歌われている歌も聴いたことがあるようなないような感じである。登場人物が歌うシーンが多く、歌詞が心情や状況を補完している。