実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』(中島貞夫)[C1973-31]

シネマヴェーラ渋谷の特集「中島貞夫 狂犬の倫理」で、『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』を観る。

モテない青年・荒木一郎が、偶然、麻薬の運び屋のクリスチナ・リンドバーグを拾ってレイプ、監禁するが、やがてふたりの間に愛が芽生える、というお話。絶賛する人もいるらしいのだが、これは男のファンタジーだと思う。女の子から見たらあり得ない。製作時の対象顧客に女性は入っていないと思うので、女性がどう思おうといいのかもしれないけれど、レイプされたのに好きになるといった状況は、やはり男にある程度外見的な魅力がないと成立しないと思う。

ところがこの映画の荒木一郎の外見といえば、絵に描いたようなオタクである。この時代にオタクという言葉はなかったが、オタクと聞いてみんながなんとなく思い浮かべるものに限りなく近い。だから最初に荒木一郎が出てきたところでドン引きしてしまって、その先に入っていけない。こんなことを書くと「差別的」と言われるかもしれないが、かっこよくないのがダメなのではなくて、「身なりにかまわない」というのがほとんどの女性にとって問題外であるということだ。

しかし、クリスチナ・リンドバーグの身になって前向きに解釈すると、まず第一に、彼女は外国人で日本のことをよく知らないので、先入観にとらわれずにすべてを異文化の一部としてみたため、あまり醜いとかきたならしいとか感じなかったのかもしれない。また第二に、彼女にしてみれば、荒木一郎を好きになりさえすれば「レイプ・監禁されたかわいそうなわたし」から、「好きな人とふたりっきりで誰にも邪魔されないしあわせなわたし」に変われるので、荒木一郎のよいところだけを見る特殊な心理状態になってしまったのかもしれない。

言葉が全く通じないふたりのコミュニケーションを描くのにも重点が置かれていて、これは比較的よく映画の題材になるが、わたしはあまり興味を感じない。滑稽なやりとりからおかしさを感じるのもあまりいい趣味と思わないし、通じなくてもわかりあえるというような幻想ももっていないので。

最後の爆弾はちょっとおもしろかった。中島監督は立てこもりとか爆弾とかが好きですね。