実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『愛情の決算』(佐分利信)[C1956-20]

同じく新文芸坐の特集「巨匠たち、名優たちが生きた時代(2) - 原節子」で、佐分利信監督の『愛情の決算』を観る。『女であること』と2本立てだが、目当てはこちら。二回めだが、なかなか観る機会がないため上映を待ち望んでいたもので、今回の帰宅目的のひとつめ。

この映画の見どころは三つある。まずひとつめは、ヒロイン、原節子の男性遍歴の豪華さである。最初の夫が内田良平、二番めの夫が佐分利信、そして不倫相手が三船敏郎。うらやましすぎる。内田良平はフィリピンで、戦友に妻子のことを頼んで戦死してしまうので、彼と原節子がいっしょに並ぶのは写真の中のみ。カラミがないのは非常に残念。ちなみに、この豪華なラインナップを見て、いつも思い出すのは『乱れ雲[C1967-04]司葉子のことである。土屋嘉男に加山雄三とはあまりにもお気の毒。『秋日和[C1960-05]で美人母娘に扮したふたりなのにこの差はなんだ。

ところでこの映画の原節子は、かなり美しく撮られている。『女であること』よりたった2年早いだけなのに、ずっと若く見えるし、もともときれいなのが、外に働きに出たり恋愛をしたりしてどんどんきれいになる。そういう意味でも、原節子の代表作の一本に数えるべき映画だと思う。

見どころのふたつめは、三船メロドラマの金字塔であるということである。メロドラマが似合わない、あるいはできないスターといえば李連杰(ジェット・リー)と三船、というのは、おそらく世界中の人が首肯するところだと思う。メロドラマっぽい三船といえば、もうひとつ『妻の心』[C1956-17]という傑作があるけれど、この『愛情の決算』にはラブシーンらしきものもあり、やることもやって、胸キュンな雰囲気を醸し出していてすばらしい。やはりちょっと硬いけれど、そこが逆に初々しい感じを与えている。

見どころの三つめは、佐分利信マゾ映画の金字塔であるということである。同じく佐分利信監督の『慟哭』[C1952-20]でも、自身の役柄の設定がマゾっぽいと書いたが、あれはまだよく知らない新人女優が相手だった。こちらは天下の原節子さまである。佐分利信原節子といえば、だれでも思い出すのが『秋日和』。順序としてはこの映画よりあとだから、本来比較するのはおかしいけれど、何十年も経って観る者としては比較せずにはいられない。『秋日和』の佐分利信は、学生時代からの憧れの女性、原節子が未亡人になっても、妻がいるために自分が再婚するわけにはいかず、ヤモメの北竜二と再婚させようとする役。妻が三宅邦子ではなく沢村貞子なのが、一層かわいそう感を際立たせている。いっぽう原節子は、佐分利信中村伸郎、北竜二のなかで、明らかに佐分利信に最も好意をもっている。彼女が再婚を拒むのは、相手が北竜二だからであって、もしも佐分利信だったら承知したのではないか。

『愛情の決算』の佐分利信は、その憧れの原節子とちゃっかり結婚できてしまうのだが、それにもかかわらず彼女をしあわせにできない、情けなさすぎる夫の役。職があるのが唯一の取り柄だったのに、クビにはなるし、仕事が見つからずヒモにはなるし、コネで就職したもののぜんぜん仕事ができない。戦友に転がりこまれても追い出せない。原節子の前でお茶目な面を見せたり、楽しくふるまったりすることができない。結果として妻に浮気をされてしまうが、相手の男の離婚の頼みは勝手に握りつぶす。全くいいところのない役を、佐分利信は嬉々として楽しく演じているように思われる。ぜったいマゾだ。

最後にひとこと言いたいのは、原節子の息子がブサイクすぎるということである。特に出番の多い高校時代がひどい。原節子内田良平の息子がこんなにブサイクなはずはない。