実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『その夜は忘れない』(吉村公三郎)[C1962-46]

フィルムセンターの特集「生誕百年 映画監督 吉村公三郎」(公式)で『その夜は忘れない』を観る。

灼熱の広島を舞台に、原爆をからめたメロドラマ。雰囲気といい、風景といい、冒頭から『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』[C1958-01]を彷彿させまくるので、おそらく意識して作られた映画なのだろう。無論、負けている。

主演は若尾文子田宮二郎。このふたりのカップルって、どれだけすごい秘密があるんだろうとか、実はすごい裏の顔があるんじゃないかとか、高度な騙しあいが展開されるんじゃないかとかいろいろ期待させるが、そんなものは一切ない純愛メロドラマ。なにゆえにこのふたりを主演に起用したのか。若尾ちゃんと田宮二郎の持ち腐れ。もちろん、このふたりがスクリーンに登場して悲恋を演じてくれれば、見た目にも美しいし、それなりに堪能できる。しかしながら、「近ごろ体が弱ってしまって…」と言いながら喘いだりせず、ひとり黙って死んでいく若尾ちゃん、若尾ちゃんへの気持ちがぜんぜん揺るがない田宮二郎というのは、やはりどうもすっきりしない。モヤモヤする。「モヤモヤする映画」としてモヤさまで取り上げてもらいたい。

そのほかの登場人物で印象に残るのは、原爆病院の医師の中村伸郎。ジャーナリストの田宮二郎の取材にも、患者の若尾ちゃんの質問にも、ひたすらあいまいな返答を繰り返すところが中村伸郎にはまりまくり。昨今の情勢をふまえて見ると、この医師はかなり不気味な存在でもあるのだが。

内容的には、原爆の絡めかたが中途半端だと思う。田宮二郎は原爆から17年めの広島を取材しにやってくるが、復興した街の賑わいや前向きに生きる被爆者といった表層的な事象しか見えず、結局雑誌の特集を断念してしまうへっぽこジャーナリストである。そして、繁栄の裏にある、依然消えない傷痕が見えはじめたとたん、若尾ちゃんとの悲恋物語に移行してしまい、結局原爆の傷痕が深く掘り下げられることはない。

若尾ちゃんに胸のケロイドを見せられても全くひるまずに結婚を申し込む田宮二郎は、多くの観客には立派な男と映るのかもしれないが、わたしはこんな男は信用できない。結婚するというのは相手の人生をある程度引き受けることなのに、病気の程度や症状、余命や今後起こるべきシナリオなども知らず、これから何度もハダカを見ても、彼女を傷つけるようなことはないかシミュレーションしてみることもなく結婚を申し込むのは、軽はずみな言動としか思えない。ここからが田宮二郎の苦悩を見せる見せ場のはずなのに、いきなり苦悩しない一途な男になってしまうのは解せない。ちなみにこの映画の田宮二郎は、終始眉間に皺を寄せて苦悩するフリをしているが、実はたいして苦悩していないと思う。

ところで今日はチェルノブイリ原発事故から25周年。そしてこの映画は17年後の広島をめぐる物語。17年後の、あるいは25年後の福島はどうなっているのだろうか。