実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『あの夏の子供たち(Le Père de mes Enfants)』(Mia Hansen-Løve)[C2009-29]

銀座での買い物をてきぱきと片づけて恵比寿へ移動。恵比寿ガーデンシネマでミア・ハンセン=ラブ監督の『あの夏の子供たち』(公式)を観る。

映画の前半は、映画プロデューサーであるグレゴワール(ルイ=ドー・ド・ランクザン)の多忙ぶりと仕事人間ぶり、しかしできるかぎり家庭(妻と娘3人)も大事にしている様子(娘の髪型やアクセサリーをちゃんとチェックしていて褒めるところなど、さすがフランス男)、そして自身の製作会社の経営が悪化していく様子がスケッチされる。ここまではいわば前座で、彼が突然自殺したあと、残された妻と娘たちがその死を乗り越えていくさまを描いた後半がメイン。夫/父の突然の死という非日常なできごとの一方で、日常が綿々とつづいていく感じが絶妙なバランスで描かれている。

後半はまず、妻シルヴィア(キアラ・カゼッリ)が夫の製作していた映画の完成と会社の再建のために奔走する姿が描かれ、やがて視点は長女のクレマンス(アリス・ド・ランクザン)に移る。シルヴィアの場合はグレゴワールの不在がすごく重くて、自分自身の人生をどう生きるかよりもとにかく夫の残したものを守りたいというのが第一である。しかしクレマンスの場合は、父が製作した映画を観たり、父が援助しようとしていた映画監督の卵と知り合ったり、父との関連はあるものの、それが彼女自身の今後につながっていく感じがいい。

結局、撮影中の映画の完成も会社の存続もならず、会社を精算して一家はいったんパリを離れることになるが、そこに諦念だけではない、今後への希望が感じられるのは、このクレマンスのパートによるところが大きい。前半では、生き生きと愛くるしい妹たちに比べて精彩を欠くように感じられた彼女だが、後半はどんどんかわいく、きれいになっていく。朝帰りしてカフェへ行き、大人ぶろうとして失敗するシーンが最高にかわいい。

夏のやわらかな光が美しい映画で、終盤、季節が移ろっていく感じも印象的。夏から秋へと移っていくとき、単に着ているものが増えたり変わったりするだけでなく、一枚羽織って外出するといった日常のディテールがさりげなく描かれているところも好き。そのあたりはロメールの映画を連想したが、プリントのワンピースがかわいいのもロメール的。また、『ケ・セラ・セラ』が効果的に使われていて、今まであまり好きではなかったこの曲が急に好きになった。

映画プロデューサーというと、売れることを優先して俗悪な改変を強いるという悪しきイメージがあるが、資金調達が難しい世界中のアート系監督の映画にいちばん出資している国といえばまちがいなくフランスで、グレゴワールはそんなプロデューサーのひとり。タジキスタンの映画を製作していたのが好感度大である。

映画のあとは久しぶりのとんきのひれかつで大満足。でもその前に、山手線が安全確認とかで止まっていてムカついた。山手線の運行状況ととんきの混雑度に明らかな相関があったのにもびっくりだ。