東京へ移動して、INAXブックギャラリーに寄ってからフィルムセンター(公式)へ。「映画の中の日本文学 part 3」(公式)で五所平之助監督の『挽歌』を観る。原田康子による原作は未読、秋吉久美子主演のリメイク版も未見。今回の特集で、原作を読んでいるものは一作もない。
映画は、ヒロインを久我美子、その不倫相手を森雅之、その妻を高峰三枝子が演じていて、この三人が非常に役柄に合っている。久我美子演じる怜子は、生活に不自由のないお嬢さんだが腕に障害があり、優越感と劣等感を併せもちながら世の中をナナメに見ている。ゲーム感覚で人の感情を弄んでいるうちに、森雅之も高峰三枝子も本当に好きになり、真剣に苦悩する。そのような役柄は、清純なお嬢さんタイプでありながら、芯の強さや凛とした雰囲気をもつ久我美子にぴったり。冗談めかして高峰三枝子に「逃げたら殺すわ」と言うところが印象的。
森雅之演じる桂木は、妻の浮気に傷つき、家庭を修復したいと願いながら何もできず、自分も怜子と不倫するという役柄。かなり複雑な人物だが、怜子を外泊させておいて父親に連絡して詫びるとか、そういうところがよくわからない。この映画を観ようと思ったのは、実はyukazo_kさんの[Apples & Tangerines](id:yukazo_k:20100316)に、「ハマリまくっていて、劇場で悶絶死しそうになる」「森雅之ファンの方にとっても見逃せない作品」と書かれていたからである。たしかにこの役は森雅之にぴったりだし、逆にほかの人だったらかなりひどいことになりそうだが、正直わたしはそこまでグッとこなかった。でも考えてみれば、わたしは森雅之は好きだが、「きゃー」という感じのファンではない。また、張國榮(レスリー・チャン)が、『欲望の翼』[C1990-36]がよすぎて他の作品では見劣りするように、森雅之も『浮雲』[C1955-01]がよすぎて他の作品では見劣りするような気がする。
高峰三枝子演じるあき子は、不倫相手の渡辺文雄とずるずると会いながらも、深く傷つき苦悩する役柄。憂いを加えた高峰三枝子が尋常ではなく美しく、わたしは彼女がいちばんいいと思った。
このように、役者はおおむねいいのだけれど、じゃあ映画としてよかったか、と聞かれるとそうでもない。そのひとつの要因として、節度なく盛り上がるうるさい音楽が挙げられると思う。やたらと息の荒いおじさん(始まる前から最後まで、ずっと呼吸音が聞こえていた)と、映画を観ながらいちいちしゃべるおばさんたちに囲まれて、ぜんぜん映画に集中できなかったのも一因かもしれない。