実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『旅人(여행자)』(Ounie Lecomte)[C2009-17]

次まで時間があるのでエスプレッソ・アメリカーノへ。今日は空き時間が多いのでMacBook Airをもってきたが、ここはゆったりと落ち着けるので、シゴト(ただのブログのドラフト作成)がとっても捗る。エスプレッソで1時間くらい過ごしたあと、晩ごはんにパスタを食べる。

今日の3本めは、ウニー・ルコント監督の『旅人』。70年代の韓国を舞台に、突然父親に捨てられて孤児院に入れられた9歳のジニ(キム・セロン)が、捨てられたという事実を受け止め、養女としてパリに行くまでを描いたもの。

孤児院といっても、ふつうの孤児院ではなく、養父母を探すのがミッションの施設である。だから子供たちは次々に引き取り手が決まっていき、仲間たちに見送られ、新しい両親といっしょに去っていく。お別れの儀式では、いつも決まった歌2曲が歌われる。この儀式の繰り返しのなかで、かたく心を閉ざし、無表情だったジニが、少しずつ心を開いていくさまが描かれる。落ち着いた映像とダークな色合い、西洋建築に瓦屋根の、近代建築と思われる施設の建物、孤児院の庭の、晩秋と思われる陽の光が印象的。

見送りシーンの繰り返しで物語が進むなかで、ひとつ印象的だったのは、足が悪いために今まで引き取り手がなかった17歳のイェシン(気づかなかったが、『グエムル 漢江の怪物』[C2006-03]のコ・アソンだったんですね)が去っていくシーン。この施設の子供を引き取るのは、経済的には余裕があるが子供がいなくて寂しい人たちなのであろう。子供たちはみな新しい両親の車に乗って去っていく。しかし、女中代わりであると仄めかされるイェシンの場合、引き取りにくる両親は徒歩だ。規則を破ったときはみんなの前で反省の言葉を述べさせられたのに、去っていくときは仲間たちの見送りの儀式もなく、ひっそりと出ていく。

ジニははっきりいって、この孤児院では抜群にかわいいのだが、捨てられたことが納得できないので養女になる気もない。一方施設の子供たちは、少し年長になると自分のおかれている状況を理解し、なるべく条件のよいところに引き取ってもらえるよう、就活や婚活もびっくりの戦略を練る。このあたりは、アメリカ人夫妻が養女を探すエピソードで端的に描かれている。少し年長のスッキは、この夫妻に狙いを定め、英単語をまじえて懸命に自己アピールする。一方のジニは、質問にも答えず、笑顔も見せない。アメリカ人夫妻は、明るく賢く前向きな、でも器量はちょっといまいちのスッキと、抜群にかわいいけれどもリスクの高いジニのあいだで迷い、もう一度ふたりに会いに来る。このときジニがほんの少しでも喋ったり、笑顔を見せたりすれば、おそらく夫妻はジニを選んだのではないかと思う。しかしジニの頑なな態度は全く変わらなかったので、夫妻は安全策でスッキを選ぶ。その後ジニの態度も軟化するとはいえ、彼女を養女にするのが、遠くパリに住む夫婦だったというのは象徴的である。

ジニは少しずつ状況を受け入れ、みんなといっしょに歌を歌ったり、笑顔で写真を撮ったりするようになる。しかし、表出されるようになったのはいい感情だけではない。打ち解けていたスッキが去ってしまったこともあり、ジニは突然キレて人形をバラバラに破壊したりする。このとき見せる表情が、阿扁の娘みたいに恐い。

恐いといえば、寮母の顔が死ぬほど恐かった。彼女が、これから世間の荒波に揉まれる子供たちのことを思い、厳しく接していることは十分に描かれているのだが、それがわかっていてもやはり恐い。もともと恐い顔に恐い表情がはりついているのだから、ほんとうに恐くて正視できなかった。

正視できないといえば、健康診断のシーン。わたしは長回しが好きである。好きではあるが、採血シーンを長回しで撮るのはなにゆえか。何度チェックしてもいっこうに終わらないので、目を背けていても何回も見てしまった。関係ないが、インフルエンザのニュースで、予防接種をしているところを写すのもやめてください。

上映後はQ&Aがあり、聞きたかったけれど夜遅いのでパスして帰る。