バンガロールに来ちゃったの

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「映画の中の東京」(『東京人』2009年11月号)[M48-274]

『東京人』2009年11月号の特集『映画の中の東京』読了。

東京人 2009年 11月号 [雑誌]

東京人 2009年 11月号 [雑誌]

ほとんどの記事はいまひとつおもしろくないのだが(なのでわたしはいつも爆睡してしまって、読み終わるのにえらく時間がかかった)、『大瀧詠一の「映画カラオケ」のすすめ。』だけはすごかった。大瀧詠一氏は、なんと成瀬巳喜男の『銀座化粧』[C1951-14]と『秋立ちぬ』[C1960-27]のすべての舞台を特定したのだそうだ。家の中などはほとんどセットで撮られているが、外観の写らないセット撮りの場所であっても、その場所はすべて特定されており、歩くルートなどは実際と同じに撮られているらしい。また、このような作業をしてみて、『銀座化粧』と『秋立ちぬ』がシンメトリックな構造になっていることがわかった、ということである。

いやー、大瀧詠一すごい。わたしが求めていたのは、このようなディープな記事である。川本三郎氏との対談という形式のこの記事ではごく一部しか語られていないので、ぜひともすべての舞台を図解入りで紹介し、考察した本を出してほしい。期待しています。

冒頭の総括的な文章、『今ひとたびの「銀幕の東京」。』は、当然のごとく川本三郎氏が書いているが、これによると川本氏は、映画のなかにいまは失われた東京の風景を見つけるのがうれしいらしい。わたしの場合、失われた風景も興味深いが、いまもある風景を見つけるほうがうれしい。おそらく川本氏の場合、失われた風景の失われる前を知っているということなのだろうけれど。

また川本氏は次のように書いている。

……風景の意味づけは批評になってしまう。大事なのは理屈より風景そのもの。論より証拠。あくまで、あの映画に、消えた東京のあの橋、あの建物、あの川が出て来たという単純な事実そのものが大事。(p. 23)

その気持ちはわからないでもない。わたしだって、「たいした映画じゃないんだよなー」と思いながら、「○○が出てくる」といった理由でDVDを買っている台湾映画などがたくさんある。でもわたしは、やはりなんらかの意味づけというか、その場所が選ばれた理由や、その風景が映画のなかで果たしている役割などについても考えてみたい、それがロケ地に注目するおもしろさだと思っている。

ところで、いまこういう特集をするのなら、『珈琲時光[C2003-18]と『空気人形』[C2009-08]で東京を撮った李屏賓(リー・ピンビン)にインタビューするとかしてほしいな。