実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『爆弾男といわれるあいつ』(長谷部安春)[C1967-34]

早めに会社を出て京橋へ。はなまるうどんを食べてから、フィルムセンターの「特集・逝ける映画人を偲んで 2007-2008」で『爆弾男といわれるあいつ』を観る。ガラガラだ。

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小林旭の「あいつ」シリーズの4作め(最終作)。小林旭には、「渡り鳥」シリーズをはじめとして、「銀座旋風児」シリーズ、「流れ者」シリーズなどのシリーズものがあるが、実は「渡り鳥」シリーズ以外はほとんど観ていない。「あいつ」シリーズもはじめてなのでどういうものなのかよく知らないが、東京ぼん太とかいう人が必ず出てくるコミカルなシリーズという印象があり、あまり期待していなかった。

しかしながら、基本的にはジャジーな音楽が流れるハードボイルドな雰囲気の映画で、意外に観ごたえがあった。そこに東京ぼん太演じる弟分が、あまりおもしろくないコミカルなパートをかなり大量に持ち込み、演歌を歌いまくるのがやけにちぐはぐである。ほかの作品を観ていないのでなんともいえないが、「決められた制約は守ったうえで、やりたいことをやりました」という感じだろうか。やりたいことだけやったらもっと引き締まった渋い映画になったと思うが、そのアンバランスな感じが逆にパワーを感じさせるようにも思う。

1967年の映画なので、アキラは太り始めた上半身に角刈りみたいな頭で、いまひとつ冴えない。でも思いがけのう内田良平が出ていて、アキラとの泥レスシーンのサービスもあり。内田良平はいつも三つ揃いに帽子でかっこいいが、活躍のほどはいまひとつ。それ以外のキャストは地味すぎ。渡辺美佐子的役柄のヒロインは、(松尾嘉代×0.8+若林映子×0.2)という感じなので、「これ松尾嘉代じゃないよなー、だれなんだ?」と観ているあいだじゅうイライラしたが、帰りにさっそく調べると、嘉手納清美という人だった。知らん。

アキラのプログラムピクチャーではおなじみの、窮地でアキラを助ける敵が出てこないところや、ヒロインたち(嘉手納清美、万里昌代)とアキラがあまり絡まない(ロマンスがない)ところが不満である。しかしこのことは、弟分も、ライバルも、ヒロインも、誰も助けてくれないなかで、自分ひとりの力で傷だらけになって戦うという、これまでのアキラとは異なるヒーロー像を提出していて、それがこの映画をハードボイルドな味わいにしている。アクションも、かっこよく殴って蹴って拳銃を撃てば敵が倒れてくれるというようなものではなく、かなりなりふり構わぬハードさである(したがって、かなり痛い映画である)。

しかも、「渡り鳥」シリーズのように、「困っている弱い人たち(ヒロインは必ずこの中にいる)のために戦い、最後は勝って感謝される」という図式は成り立たない。その人のために戦ったはずの「弱い人」は、いつのまにかどこにもいなくなっている。悪人を倒したわけだし、それが因縁の相手でもあったわけだから、意味がなかったわけではない。しかし、絶対に揺るがない大義名分を欠いていることで、見るからにボロボロになったアキラが、積み上げたこの死体はいったいなんだったのかと問いかけるような、無力感あふれるラストが印象に残る。

舞台は長岡で、長岡ロケ(たぶん)がけっこう魅力的。よさそうなところですわね、長岡。ロケ地めぐりのしがいがありそうだ。

フィルムセンターに来るのはかなり久しぶりな気がしたので、調べてみたら今年はじめてであるだけでなく、去年の3月以来の1年半ぶりだった。しかも会社帰りに行くのは2年ぶり。この2年、わたしは何をしていたんだろう?