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『「大日本帝国」崩壊 - 東アジアの1945年』(加藤聖文)[B1355]

『「大日本帝国」崩壊 - 東アジアの1945年』読了。

「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年 (中公新書)

「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年 (中公新書)

1945年8月15日を中心に、日本本土、朝鮮、台湾、中国、満洲南洋群島樺太・千島がどのように敗戦を迎えたかを描いたもの。章題が、「日本」、「朝鮮」、「台湾」…ではなく、「東京」、「京城」、「台北」…となっている点が気に入ったが、最後のほうは「南洋群島樺太」となってしまっていて残念。やはり「豊原」とかにしてほしかった。また、その他の占領地等については、インドシナ、フィリピン、インドネシア、インド、タイについては軽く触れられているが、シンガポール、マラヤ、香港についての記述が皆無なのが残念。

台湾や中国については知っていることも多くていささか物足りないが、米国、ソ連、中国など、連合国内部の様々な思惑を描いた「序章 ポツダム宣言 - トルーマンの独善とソ連の蠢動」と、ポツダム宣言受諾までの数日を克明に描いた「第1章 東京 - 「帝国」解体への道」がとりわけおもしろかった。ポツダム会談は米英ソで行われたのに、ポツダム宣言は米英中の名で発表されたこと、ポツダム宣言がほとんどトルーマンひとりによって作り上げられたいいかげんなものであったこと、重慶にいた蒋介石は電信で無理やり承諾させられ、米英中首脳の署名はすべてトルーマンが行ったことなど、知らなかったことが多くて興味深い。付録に、大西洋憲章カイロ宣言ヤルタ協定ポツダム宣言終戦詔書、降伏文書、一般命令第一号の日本語全文がついていて参考になる。どれもちゃんと読んだのははじめてではないだろうか。

ポツダム宣言受諾にいたる過程についてもほとんど知らなかったが、鈴木貫太郎首相が、閣議の議論が真っ二つに割れるという状況を作り出すことによって、戦争終結の「聖断」を引き出したこと、近衛が自殺したとき、「私は死にませんよ」と語ったということが強く印象に残った。このあたりについてはもっといろいろ知りたいところである。御前会議はソクーロフの『太陽』[C2005-38]にも出てきたが、何を話しているのかほとんどわからなかった。とりあえず未見の『日本のいちばん長い日』(岡本喜八)が観たい。しかし、鈴木首相=笠智衆、東郷外相=宮口精二、阿南陸相三船敏郎というキャストからは、本土決戦必至にみえる。

以下、要チェックな点のメモ。

 ローズベルトは対日戦終結の先を見据えて行動していた。それは、米ソ共存体制を基軸とした戦後構想であって、そのためにもスターリンとの間でヤルタの密約を結ぶことまであえて行った。しかし、原爆によって密約は無用となりつつあった。トルーマンの戦後構想は米ソ共存ではなくソ連をいかに押さえ込むかに重心が移っていった。それこそがローズベルトの呪縛を断ち切るトルーマン独自の世界構想となり得るものであった。(「序章 ポツダム宣言」pp. 5-6)

 この時点でトルーマンはヤルタの密約を無効とする考えはなく、ソ連の対日参戦とそれによってソ連が獲得する権利は容認していた。むしろ、原爆によって対日戦を独力で終結させると決断した以上、ソ連が対日参戦するかしないかは大きな問題ではなく、それがゆえにもはや、ソ連との間で対日戦について具体的な協議をする必要性を感じなくなっていたのである。
 しかし、こうしたトルーマンの独善的ともいえる態度は、ソ連に対する外交的根回しの欠如につながった。このことが、のちに大きな齟齬を生むことになる。(「序章 ポツダム宣言」p. 9)

 こうして、ポツダム宣言受諾による大日本帝国の敗北と解体は確定した。しかし、最後まで「国体護持」が争点となるなかで、「帝国臣民」についてとくに議論はされなかった。このことが後になって帝国崩壊後の大きな問題へとつながっていくのである。(「第1章 東京」p. 47)

 国体という曖昧な抽象概念は昭和天皇にとっていざとなれば捨て去ることは容易であった。だが、天皇家の維持という具体的な問題は、天皇家の歴史の重みの前では、一二四代目の天皇として軽々と判断できる問題ではなかった。(「第1章 東京」p. 50)

 大東亜省は、ポツダム宣言受諾を伝えた暗号第七一五号の別電として暗号第七一六号によって具体的な指示を伝えた。そこには、「居留民はでき得る限り定着の方針を執る」とされていた。すなわち、大東亜省は現地定着方針による事実上の民間人の切り捨てを行ったのである。また、電信では同時に、朝鮮人と台湾人について「追て何等の指示あるまでは従来通りとし虐待等の処置なき様留意す」とされていたが、「追て何等の指示」は結局この後も出されないまま彼らに対する保護責任は連合国側へ丸投げされた。(「第1章 東京」p. 57)

 八月十五日正午、昭和天皇による玉音放送がラジオによって流された。放送は朝鮮や台湾、樺太南洋群島、さらには満洲国でも流された。この放送は、天皇が「帝国臣民」に向かって初めて直接語りかけたものであったが、語りかけた「帝国臣民」はすでに「日本人」だけになっていた。(「第1章 東京」pp. 57-58)

 大日本帝国の崩壊後に朝鮮半島に生まれた二つの国家は、自らの力によってではなく、米ソ両国の思惑によって作られた。しかし、朝鮮民族を代表する国家としての正統性を自他共に認めさせるためには、互いの国家が、日本の敗戦と同時に自らの力によって独立を勝ち取って、三五年にわたる植民地支配の屈辱を晴らしたとしなければならなかった。すなわち、韓国も北朝鮮も生まれながらに「建国の神話」を背負わなければならなかったのである。(「第2章 京城 - 幻の「解放」」pp. 99-100)

 ……空襲で焼け野原となり、進駐軍の占領を受け入れるなかで敗戦を否が応でも実感せざるを得なかった東京から戻ってきた塩見にとって、緊張感のない台湾は別世界のようであった。彼はそのときの驚きを次のように日記に記している。

台湾には未だ支那軍の駐屯なく極めて平静なり。其の故にか一般的に安易感に過ぎ、総督府等旧の如く、敗戦、無条件降伏の姿全くなし。
次に来る嵐に此の状況にて果して堪えうるや否や。(『秘録・終戦直後の台湾』)

(「第3章 台北 - 「降伏」と「光復」のあいだ」p. 113)

 ……大日本帝国時代も戦時中を除けば、『冒険ダン吉』に代表される冒険小説の舞台としてしかイメージされなかった南洋群島は、戦後になって「南洋の楽園」か「玉砕の島」という相反するイメージが併存するようになった。しかし、玉砕したのは誰かにまで思いいたるものは少ない。南洋群島での戦闘で犠牲になった日本人の多くが沖縄人であったことはほとんど知られていないし、島民の被害の実態、さらには、多くが労働者として渡ってきた朝鮮人の何人が犠牲になったのかは、不明のままである。(「第5章 南洋群島樺太 - 忘れられた帝国」pp. 199-200)

 米ソ冷戦下で日本社会も保革の対立が激しくなるなか、樺太に残留していた日本人は引揚げてきたのだが、当時、共産主義国ソ連の内実を実体験を通じてもっとも知っていたのは彼らだった。彼らは共産主義イデオロギーに染まっていたわけでもなく、また反共主義者でもなかった。しかし、彼らのような生活者の目線は、戦後日本社会で理解されることはなかった。
 樺太引揚者が日本社会のなかで孤立するなかで、さまざまな民族が翻弄された樺太の記憶は、戦後日本社会のなかから忘れ去られていったのである。(「第5章 南洋群島樺太」pp. 217-218)

全体を通して感じたことは大きく三つ。

一点め。もしもローズベルトが死ななければ、戦後の世界はもう少し違ったものになっていたのではないかということ。なんといっても死んだタイミングが悪すぎた。あらためて連合国側の指導者たちを眺めてみると、ローズベルト、チャーチルスターリン蒋介石と、善悪は別としてかなりの大物揃いである。実際はどうだか知らないが、そんなところに突然放り込まれたトルーマンが、背伸びしてあれこれと動き回ったあげく、過ちを犯しまくったという感じがする。一方、スターリンのやっていることも強引でむちゃくちゃだが、ソ連は第二次大戦で敗戦国にも劣らない大きな損害を蒙って、その損失を少しでも取り戻すためにはなりふり構っていられなかったという印象を受ける。正義だの仁義だの国際法だの名誉だのを捨てた、「恥や外聞は、言ってられないんだよー」というところがかえってあっぱれである。

二点め。大日本帝国は、一方で日本民族だの大和魂だの万世一系天皇だのといった排他的で国粋主義的な方向で国民統合を進めながら、同時にもう一方で植民地や租借地を獲得し、版図を拡大していったが、結局最後まで、両者の折り合いをうまくつけることができなかったのではないかということ。多くの「日本人」によって、「日本」とは日本列島であり、「日本人」とはいわゆる日本民族であった。植民地などの異なる背景をもつ人々が同じ「日本人」であるという意識は希薄で、逆に大日本帝国が多様な文化や言語からなる国であるという意識もなかったのではないか。だから、敗戦によってこれらの地域を失い、日本が本来のサイズに戻ったことは、多くの人にすっきりした印象を与えたのではないか。

このことは、「植民地を獲得して喪失した」のではなく、「植民地支配も他国への侵略もなかった」ことにするような精神的作用を及ぼしているのではないだろうか。これが、かつての植民地の人々に対する責任感や関心の欠如、他民族との接触によって得られた経験や記憶の忘却につながっていると思われる。だから多くの人が反省や謝罪を口にしても、それらが真の意味での反省や謝罪、すなわちそこから何かを学んで現在や未来に生かす、ということにつながっていない。

三点め。日本の植民地支配や侵略が、それらの国や地域の戦後の混乱にいかに大きな影響を与えているかということ。植民地支配や侵略そのものについては悪と考えても、その後に与えた影響については無自覚な人が多いように思われる。台湾や朝鮮や満洲が日本史の中に出てくるのは1945年で終わりなのではなく、その先についてもきちんと語り、教えるべきだ。以前、どこかの個人サイトに、「日本人なら、二・二八事件よりも二・二六事件について知るべきだ」といったことが書かれていて愕然としたことがある。むしろ二・二六事件よりも二・二八事件のほうが、日本人が知っておくべき歴史なのではないか。

「悪かった」といった抽象的なレベルでまとめてしまうと、その先に進めなくなってしまうばかりか、「いいこともしていた」だの「心温まる交流もあった」だのといったところに癒しだかなんだかを求めてしまう若者が出てきたりする。何が起こったのか、何をしたのかを具体的なレベルで棚卸をして記憶すると同時に、それらを国際関係といった広い視野の中にも位置づけてみることが必要だと思う。

最後に、この本に関する疑問ではないが、結局「日本国憲法下では国体は護持されたのか?」がよくわからない。国民体育大会なら毎年行われているけれども。