実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『秋津温泉』(吉田喜重)[C1962-04]

夏休み最終日(有給休暇)の今日は、なんとかDVDを観るヒマを捻出。原作小説を読んで(id:xiaogang:20090626#p1)買った『秋津温泉』をやっと観た。

秋津温泉 [DVD]

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以下、感想の断片メモ。

  • やはり、原作小説とはストーリーも人物造型もほとんど別物。舞台と人物の設定をある程度借りただけ。そこはかとなく文学のかほりがするが、それは原作から来ているわけではなさそうだ。映画のほうがずっといい。
  • ヒロインの新子を演じる岡田茉莉子がとにかく美しい。本人の企画による「岡田茉莉子映画出演百本記念作品」なので、とにかく彼女をキレイに撮ることに重点が置かれている。17歳の少女から34歳のオトナの女性までを演じる岡田茉莉子のアイドル映画。
  • 原作は思いっきり周作の上から目線だが、映画は新子と周作が対等に描かれているのがいい。新子が周作に、ここから連れ出してくれることを期待するのは当然である。一方、周作にとっては秋津温泉と新子はセットであり、新子を秋津温泉から連れ出すことは考えられない。世俗にまみれた結婚や生活からは遠く離れた高みに、自分の避難場所として確保しておきたい。それもまた、彼が生きていくうえでのひとつの戦略である。こうしてふたりは、お互いに強く惹かれながらも、その思いは最初から最後まですれ違いつづける。
  • ふたりが肉体的に結ばれることで、新子の指向が生から死へと転回する。これまで精神的に支えあっていたふたりの関係が変化していくところに、周作の東京行きと秋津温泉の凋落が重なって潮目が変わったという感じ。逆に、周作の東京行きと秋津温泉の凋落があったからそうなった、と考えるほうが自然なのかもしれないが。
  • 周作を演じる長門裕之が二枚目でなさすぎるとかミスキャストだとかいう意見が多いようだが、わたしはそうは思わない。山奥の温泉場から新子を連れ出してくれる可能性のある外部の男で、かつ東京の大学を出ていて、(地元の男にくらべれば)都会や知性のかほりを漂わせているというだけで十分であり、そんなに二枚目である必要はないと思う。それに、長門裕之は、森雅之とは別の意味でダメぶりが似合っている。
  • 岡田茉莉子は当時29歳くらい(『秋刀魚の味[C1962-02]と同年の映画)、長門裕之は28歳くらい。岡田茉莉子の17歳のおさげ姿は、多少難があるもののそんなに気にならない。後半は実年齢よりも年をとるが、ふたりとも数年後の岡田茉莉子長門裕之にそっくり。スクリーンで観るともう少しアラが見えるかもしれないが、ほんとうに映画のなかで年をとっているように見えた。
  • 理想を失って堕落していく周作には、戦後の日本社会が重ねられていると思われるが、彼の気持ちはよくわかる。作家になる夢は諦めたが、出版社で働くようになって生活も安定し、それなりに遊んでそれなりに楽しい。そりゃあ死にたくないだろう。人生というのはそういうものだと思うから、わたしには批判的に見る気にはなれない。
  • 林光による音楽は、主題のメロディはたいへん美しいが、全体として音楽過剰である。
  • 思いがけのう吉田輝雄が見られてラッキー。全然記憶になかったが、宇野重吉に新人賞受賞のコメントを取りに来る新聞記者の役。残念ながら出演シーンはごくわずか。
  • 観ていて似ていると思ったのは『藍宇』。ふたりの関係性は全く違うが、どちらも互いの立場が入れ替わっていくのが印象的なので。