実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『モーツァルトの街(모차르트 타운)』(Jeon Kyu-hwan)[C2008-08]

今日はわたしが東京国際映画祭に参加する最終日。今日も一日中六本木ヒルズ。1本めの上映が終わるのがお昼をかなり過ぎるので、上映前に昼ごはんを食べようと、1時間以上前に六本木ヒルズへ行く。食べようと思ったのは、モトヤマミルク・バーの朝食メニュー、ビタミンホットケーキセットだったが、行ってみたら朝食メニューはやめてしまっていた。先月の六本木ヒルズグルメガイドに載っていたのにひどいじゃないですか。昼ごはんは諦めてセガフレードに行くが、ランチモードの胃が暴動を起こしていたのでモーニングセットを食べる。チョコレートクロワッサンとカプチーノ。ダイエット中なのにいかんですね。

今日はすべてアジアの風で、1本めはチョン・ギュファン監督の韓国映画、『モーツァルトの街』。街角のキオスクの前で交錯する人生のひとコマをスケッチ風に描いたもの。出てくるのは、キオスクの女性(チョ・ユラン)が空いた時間に撮った写真に写っている人々。夫が消息不明のこの女性のほか、内田良平みたいな(いや、そんなにかっこよくないけど)調律師(パク・スンベ)、阿部寛みたいなヤクザ(オ・ソンテ)、不法滞在のアフリカ人労働者(ブレイズ・グバト)。

複数のグループがあって、基本的にそれぞれのグループのなかでストーリーが展開するが、異なるグループのメンバーが街角でふとすれ違う、といったタイプの映画はよくある。しかしこの映画は、多対多でかかわりをもちながら、それぞれの些細なストーリーが並行的に進んでいくところがおもしろいと思った。

ほかにスロヴァキア人のピアニスト(ソニア・クリンガー)が出てくるが、この人は他の登場人物とほとんど絡まず、観ているときには存在意義がよくわからなかった。ティーチ・インでの監督の話によれば、彼女は旅行者の視点を表しているらしい。このピアニストは、ソウルで一年間モーツァルトの講義をすることが決まって下見にやってきて、ソウルのきれいな面だけを見て満足して帰っていくという設定。つまり、彼女が街ですれ違う人々が抱えている悲しみや孤独は、旅行者である彼女の目には写らない、ということらしい。でも、彼女がイメージショット風にしか登場しないこともあり、そこはちょっとわかりにくい。

もうひとつ残念なのは、低予算だからしかたがないけれどもデジタルであること。キオスクがあるのは通りの両側に並木のある大通りで、その並木が美しく紅葉しているのだが、この景色がちっとも美しくないのだ。人物のアップなどでは、特にフィルムに対して遜色があるとは感じなかったのだが。

上映後、チョン・ギュファン監督とプロデューサーのチェ・ミエをゲストにティーチ・インが行われた。監督はこれが初監督作にしてはおっさんっぽかったが、プロデューサーがつみきみほ風のキュートな女性だったので、質問が彼女に集中。監督は露骨にがっかりした顔をしていたが、負けずに逆襲し、「最後の質問は女性にお願いしたいです」。望みがかなってよかったですね。