『銀幕の即興詩人 清水宏の生涯と作品』読了(はまぞうにありません)。
これは本ではなくて、ただのドラフト♪(ドラフトにもなっていないけれど…)
- 文章を書いたら校正しましょう。
- 文章を書いたら、少なくとも日本語として読める程度までは推敲しましょう。
- 担当編集者は、少なくとも一回は原稿を読みましょう。
清水宏についての本は、これまで『[映畫読本] 清水宏 即興するポエジー、蘇る「超映画伝説」』[B308]くらいしか出ていなかった。そこにまるまる一冊清水宏について書かれた大部の本が出た。聞いたことのない著者がこれまでに出版した本のリストを眺め、かなりの不安に駆られたとしても、買ってみよう、読んでみようと思うのが人情である。
ところが、「これはひどい」タグを1000個つけても腹の虫がおさまらないようなひどい本であった。400ページもあって3800円も取るくせに、重複を取り除くと十分の一どころか百分の一以上に減る。千分の一も夢ではない。こんな本を商品として売るのは犯罪である。こんな本を出版した出版社、こんな本に出版助成金を出した愛知淑徳大学は、相当恥ずかしい。いちおう著者のために言っておくと、「清水宏の映画はすばらしい。こんなにすごい映画をもっとみんなに知ってもらいたい」という気持ちだけはわたしと共通している。もともとは『山のあなた 徳市の恋』の便乗企画ではないようだが、あの映画で俄かに清水宏が注目されはじめたので、この機会に出してしまおうと出版をあせった結果、このようにひどいものになってしまったのかもしれない(しかしそもそも本を書く資質があるのかどうか疑われる)。
どれほどひどいかをくどくどと述べても時間の無駄なので、簡単にまとめる。
まず、この本にないものは何か。
- 全体構想とか枠組みとか構成とか(目次を見ると、論文のようなそれらしい構成になっていますが、騙されちゃいけません)。
- 論旨とか文脈とか。
- 論理的な展開とか論証とか。
- 内容とか意味とか。
それでは、この本にあるものは何か。
- 大量の漢字誤り。
- 大量の事実誤り。
- 文法が間違った文章。
- 間違った接続詞による意味不明な文章の羅列。
- 常軌を逸した大量の重複。
- 論理の飛躍(そもそも論理がないので論理の飛躍とは言えないのかも)。
- 突然の話題転換。
- 勝手な思い込み。
- 意味のない感想やコメント。
- セクションのタイトルとは無関係な記述。
何かを引用したり映画の内容を紹介したりするたびに、いちいちしょうもないコメントがついている。それがいかにしょうもないものかを示すためにひとつ引用する。
ライカのカメラといえば、めったに手に入らない代物で、小津もほしがっていたが、清水が電話で人から貰ったと嬉しそうに話すのを聞いて、小津はどのように感じたのであろうか。いくら親しい仲であっても、二人とも喉から手が出るほどほしがっているカメラだったので、清水はもう少し小津の気持ちを考えてやるべきでなかったろうか。(p. 94)
道徳の教科書ですか? ほっとけや。
「おわりに」には「複雑な原稿段階から校正を経て」(p. 392)と書いてあるが、校正なんかしちゃいません。本文中には「検証する」とか「シナリオを分析する」とかいった表現が何度も出てくるが、そんなことも全然しちゃいません。どうやら著者にとっては、シナリオの引用やあらすじの紹介から、突然思い込みの結論に至ることが「分析する」ということのようだ。「結論」には「彼に関する最も新しい考えのいくつかを世に問うものである」と書いてあるが、その「新しい考え」というのはどこに書いてあるのでしょう?
それから、この本には大量の引用箇所があるが、その引用には多くの問題がある。
- 引用とそうでないところの区別がきちんとついていない箇所がいくつかある。
- 引用するだけで論評などが加えられていない、引用の要件を満たしていない箇所がある。
- Webからの引用は、引用元としてURLを書くのが常識だと思うが、書いてない(著者やタイトルは書いてあるので検索すればわかるけれども)。
- 引用箇所が誤字脱字だらけ。
「おわりに」には、「ピーター・ハーイ先生にアドバイスいただいた」と書かれているが、自分の書物を誤字脱字だらけ(『野菜楽隊』っていったい…)に引用されたハーイ先生は、さぞお喜びになったことでしょう。