『家族の肖像 - ホームドラマとメロドラマ』読了。
- 作者: 岩本憲児
- 出版社/メーカー: 森話社
- 発売日: 2007/05
- メディア: 単行本
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映画史研究的なものと、作家論、作品論とが混ざったような構成の本だった。どちらかというと映画史研究的な論文のほうがおもしろい。第一章の「家族像とジャンルの形成」が一番おもしろく、「菊池寛の通俗小説と恋愛映画の変容 - 女性観客と映画界」(志村三代子)、「大映「母もの」のジャンル生成とスタジオ・システム」(板倉史明)など、興味深く読んだ。しかし、「菊池もの」は『不壊の白珠』[C1929-04](id:xiaogang:20060924#p1)しか、「母もの」は『母の旅路』[C1958-27](id:xiaogang:20060325#p1)しか観ていない。奇しくも共に清水宏だが、実は奇しくもでもなんでもなく、清水だから観ているのであって、そうでなければ観ないジャンルだ。読んでいると「もっといろいろ観たいな」と思わされるのだが、一方で、冷静に「でもつまらなそうだな」とつぶやく自分がいるのだった。
ちなみに、清水のこの二本は、清水としては特に傑出したものではないが、今度のシネマヴェーラの清水宏特集でも上映されるらしい。このシネマヴェーラの特集では未見のものもけっこうやるようで、スケジュールが気になってしかたがないのだが、誰もWebに載せてくれなくて困っている。おかげで東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のチケットも買えない。誰か早くWebに載せてください(懇願モード)。
第三章「家族と国家」、第四章「日本的メロドラマ」も興味深いテーマ。「戦後日本のメロドラマ - 『日本の悲劇』と『二十四の瞳』」(ミツコ・ワダ・マルシアーノ)などおもしろく読んだが、論じられている映画を二本とも観ていないのが痛いところ。かといってあまり観ようという気にはならない映画なのも困りもの。これらの章は特定の作家や作品の分析が主で、もう少し通時的な分析も読みたいと思った。
第二章「小津安二郎と成瀬巳喜男」は、実はこの本を買った主目的だったのだが、いずれも内容がうすい。「『東京物語』と戦争の影 - 嫁・原節子」(井上理恵)はそもそも何を言おうとしているのかよくわからない構成。紀子を美化されているとはみなさない見方と、紀子が戦争未亡人であることへの言及からそれなりに期待した。しかし結局、嫁という視点でしか語っていないように思われるし、紀子は亡夫や義理の両親が重荷だという著者の意見には賛同しかねる。
『東京物語』[C1953-01]といえば、たまたま今日読んだのだが、井筒和幸監督が姜尚中先生との対談(LINK)で、「『東京物語』の老夫婦は感じのいい善人なのに、その子どもたちがあんなにつっけんどんなのが理解できないし、それを東京という都会のせいにしているのが図式的だ」といった趣旨のことを語っている。老夫婦は必ずしもそんなに善人ではなくて、子どもたちだってそんなに悪人ではないと思うのだが。特に杉村春子は、『東京物語』の中でいちばんリアルで共感できる人物だと思う。山村聰については、あれが佐分利信だったら微妙なニュアンスが出て完璧だったと思うが、やはり山村聰ではちょっとまずい。私にとって、山村聰のイメージは成瀬巳喜男の『舞姫』[C1951-03]であり、川端康成的な男のいやらしさを体現する人物なのだ。
家族の話とは離れるが、戦中・戦後の小津作品にはいずれも戦争の影が感じられる。そこに注目した分析はあまり読んだことがない気がするので、誰か分析してほしいものである。