フィルムセンターの特集「よみがえる日本映画vol.3[新東宝篇]」(公式)で、清水宏監督の『桃の花の咲く下で』を観る。
主演が笠置シヅ子の映画はふつう観ない。お金を払ってあの顔は見たくない。しかし、清水宏なので観ないわけにはいかない。ということで全く期待せずに観にきたのだけれど、クレジットの二番めが日守新一だったのでちょっと期待。三番めは大山健二だったので、J先生も大いに期待。音楽が服部良一なのも安心。
映画はいきなり、歌いながら行進する子供たちで始まる。清水である。先導するのは李香蘭、だったらいいんだけれど、もちろん笠置シヅ子。どすこい。彼女は紙芝居屋で、新規参入したばかりだが、歌って踊るのが受けて大評判。先輩紙芝居屋の日守新一や大山健二は客を奪われて渋い顔。紙芝居屋の話なんだと思って観ていたら、笠置シヅ子には別れた男・北澤彪との間に生まれた子供・明坊がいて、その子は父親に渡して彼の家庭で育てられている、というわけで実は母もの。そしてなんと、交通事故で足を怪我した明坊を保養に連れて行くように頼まれて温泉へ行く。温泉+足の怪我といえばもちろん、歩く練習である。がんばれがんばれ、明坊がんばれ。
これだけなら、ワンパターンとか二番煎じとか手抜きとかいわれてもしかたがないが、ここはもうひとひねりしてある。日守新一は紙芝居屋の前は按摩だったという設定で、紙芝居がうまくいかなくなったので故郷の温泉に帰って按摩に戻り、笠置シヅ子と再会する。按摩をやめたのは女按摩が増えて仕事を奪われたからだというが、これは『按摩と女』[C1938-07]の台詞を受けたもの。そして今度は女の紙芝居屋に仕事を奪われるわけで、戦争中から戦後にかけて、女性の社会進出がどんどん広がっているという時代背景をふまえている。とにかく、日守新一が「前は按摩だったんですよ」というところはもう大爆笑だったのだが、笑っていたのはわたしとJ先生とシネフィル西洋人だけだったような気がするのが気になる。みなさん、笑っていましたか? あとおもしろかったのは、日守新一は、笠置シヅ子の歌が特別な才能で、とても真似できないと思って紙芝居屋をやめたのに、彼が按摩をしながらヘンな調子でその歌を歌うと、子供たちは十分喜んでくれる、というところ。
清水宏の母ものは、年を取るにつれてだんだん情緒過多になっていくけれど、この映画ではまだかなり抑制されている。実の母の笠置シヅ子と新しい母の花井蘭子が、過去にはいろいろあったかもしれないけれど、今はお互いを尊重して思いやり、ともに子供をかわいがっているという設定で、ザボンとか子供の服とかが、ふたりの子供への愛情や優位性の変化をさりげなく示すものとして使われていて心憎い。笠置シヅ子のファニーな雰囲気も、あれはあれで情緒過多を避けるのに役立っている。
ふたりの母と子供以外のところでも、感情の動きがさりげなく描かれているシーンが印象に残る。ひとつは、笠置シヅ子が突然東京に帰ってしまい、日守新一が呆然とするところ。笠置シヅ子は子供のことしか頭にないみたいだったが、日守新一は彼女のことを憎からず思うようになっていた、というのがさりげなく描かれている。もうひとつは、隣の部屋に逗留している男の子が明坊と遊んでいるときに、笠置シヅ子が心配して探しにきて明坊を連れて帰り、この男の子が呆然とふたりを見送るところ。彼はおばあさんとふたりで温泉宿に逗留しているが、事情は全く語られない。しかし、親がいないとか親に何か事情があるとか、隣の母子をうらやましく思うような背景があるんじゃないかと一瞬感じさせる。
舞台になる温泉は、『簪』[C1941-19]に出てくるところにすごく似ている。「薬師の湯」という立て札が出てくるが、そういう名前の温泉は全国にたくさんあるらしい。どこなのかすごく気になる。鳥取と書いてあるサイトがあるけど、本当だろうか(この時代でしかも新東宝で、そんなに遠くへロケに行けた気はしないのだけれど)。
ところで、すべての新東宝映画には花井蘭子が出ていませんか?