『俳優の領分 - 中村伸郎と昭和の劇作家たち』読了。
- 作者: 如月小春
- 出版社/メーカー: 新宿書房
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 単行本
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演劇に興味のない私がこの本を買ったのは、劇作家だけではなく、小津安二郎についてまるまる一章が割かれていたからである。中村伸郎のフィルモグラフィーを見ると、かなりの数の映画に出演しているが、小津映画を除くと『香港の白い薔薇』と『乱れ雲』[C1967-04]くらいしか印象に残っていない。それは私の小津びいきのためだけではなく、中村伸郎自身、小津映画に出ることは特別なことだったようだ。
おもしろいのは、中村伸郎が小津映画で演じている、二つのタイプの役柄に注目している点だ。すなわち、『東京物語』[C1953-01]や『東京暮色』[C1957-05]の髪結いの亭主タイプと、『秋日和』[C1960-05]や『秋刀魚の味』[C1962-02]の重役タイプである。これは、岸田國士が書いた、次のような中村伸郎の紹介文と一致しているということだ。
「中村伸郎は二つの面を持っている。律義な常識人の面と、それからボヘミアンの自由人的な面と、二通り持ち合わせている役者だ」(中村伸郎の発言中での引用、p. 95)
私自身は、『秋日和』などの重役タイプの役柄で中村伸郎のよさ、おもしろさを発見したあと、『東京暮色』などの中村伸郎を再発見して、「こっちのほうがもっといいじゃん」と思ったクチである。しかし小津の場合は、製作年からもわかるように、まず髪結いの亭主タイプを与え、それから重役タイプを発見したらしい。著者は、かなり趣の異なる中村伸郎の二つの「柄」について、彼の生い立ちをもとに分析している。
小津安二郎の演出や小津映画での演技については、中村伸郎のインタビューをかなり長くそのまま紹介している。多くの俳優が小津の演出について語っているが、どうすればOKになるのか全くわからなかったとか、言われるままに何度もやったといった発言が多い。多くは、小津の再評価後にまだ現役の俳優にインタビューしたものであり、出演当時は映画界に入って間もなかったからかもしれない。ところが、演劇界の出身であり、理論も持ち、経験も積んでいた中村伸郎の場合は、語る内容も一味違っている。以下に一部引用するように、小津が求めたものを自分なりに理解し、咀嚼している点が興味深い。
……半分自分に、あるいはほとんど自分に言う。その方が、自分の腹の中にみんなおさめて、存在感だけで芝居している。口先で相手と熱演するんじゃなくて、内面的演技をして、存在感で演技をするという、これの方が本物だという気がしてきましてね。小津先生が望んでいたのは、それだなと思うようになったんです。(p. 147)
『秋日和』を観ての次の発言もおもしろい。これは絶対、法事のシーンだと思う。
気に入らないですよ、自分の演技が。今見るとね。何であんなに目をチラチラ使うのか。嫌ですね。あんな目、何故するのか。まゆ毛ピクリとさせたりなんかして、嫌になっちゃう。目を一生懸命使うのが嫌ですね。(p. 146)