実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『俳優の領分 - 中村伸郎と昭和の劇作家たち』(如月小春)[B1197]

『俳優の領分 - 中村伸郎と昭和の劇作家たち』読了。

俳優の領分―中村伸郎と昭和の劇作家たち

俳優の領分―中村伸郎と昭和の劇作家たち

新劇俳優としての中村伸郎の活動をたどりつつ、昭和の新劇史の一面を綴った本。中村伸郎に長時間インタビューしているようだが、ただのインタビュー本ではない。中村伸郎がとりわけ影響を受けた劇作家、岸田國士久保田万太郎三島由紀夫別役実を中心に、著者が中村伸郎に関わる演劇の流れをたどり、様々な考察を加えながら、そこに中村伸郎の言葉を当てはめていくといった構成で、非常に丁寧に、しっかり書かれた本だと思う。私は演劇には興味がないので、大部分はお勉強モードだったが、新劇の歴史や新劇とは何かといったことについてある程度まとまった知識が得られたし、文学座はどういう劇団なのかとか、文学座三島由紀夫の関係とかいったこともわかってよかった。

演劇に興味のない私がこの本を買ったのは、劇作家だけではなく、小津安二郎についてまるまる一章が割かれていたからである。中村伸郎フィルモグラフィーを見ると、かなりの数の映画に出演しているが、小津映画を除くと『香港の白い薔薇』と『乱れ雲[C1967-04]くらいしか印象に残っていない。それは私の小津びいきのためだけではなく、中村伸郎自身、小津映画に出ることは特別なことだったようだ。

おもしろいのは、中村伸郎が小津映画で演じている、二つのタイプの役柄に注目している点だ。すなわち、『東京物語[C1953-01]や『東京暮色』[C1957-05]髪結いの亭主タイプと、『秋日和[C1960-05]や『秋刀魚の味[C1962-02]の重役タイプである。これは、岸田國士が書いた、次のような中村伸郎の紹介文と一致しているということだ。

中村伸郎は二つの面を持っている。律義な常識人の面と、それからボヘミアンの自由人的な面と、二通り持ち合わせている役者だ」(中村伸郎の発言中での引用、p. 95)

私自身は、『秋日和』などの重役タイプの役柄で中村伸郎のよさ、おもしろさを発見したあと、『東京暮色』などの中村伸郎を再発見して、「こっちのほうがもっといいじゃん」と思ったクチである。しかし小津の場合は、製作年からもわかるように、まず髪結いの亭主タイプを与え、それから重役タイプを発見したらしい。著者は、かなり趣の異なる中村伸郎の二つの「柄」について、彼の生い立ちをもとに分析している。

小津安二郎の演出や小津映画での演技については、中村伸郎のインタビューをかなり長くそのまま紹介している。多くの俳優が小津の演出について語っているが、どうすればOKになるのか全くわからなかったとか、言われるままに何度もやったといった発言が多い。多くは、小津の再評価後にまだ現役の俳優にインタビューしたものであり、出演当時は映画界に入って間もなかったからかもしれない。ところが、演劇界の出身であり、理論も持ち、経験も積んでいた中村伸郎の場合は、語る内容も一味違っている。以下に一部引用するように、小津が求めたものを自分なりに理解し、咀嚼している点が興味深い。

……半分自分に、あるいはほとんど自分に言う。その方が、自分の腹の中にみんなおさめて、存在感だけで芝居している。口先で相手と熱演するんじゃなくて、内面的演技をして、存在感で演技をするという、これの方が本物だという気がしてきましてね。小津先生が望んでいたのは、それだなと思うようになったんです。(p. 147)

秋日和』を観ての次の発言もおもしろい。これは絶対、法事のシーンだと思う。

 気に入らないですよ、自分の演技が。今見るとね。何であんなに目をチラチラ使うのか。嫌ですね。あんな目、何故するのか。まゆ毛ピクリとさせたりなんかして、嫌になっちゃう。目を一生懸命使うのが嫌ですね。(p. 146)