『李香蘭の恋人 - キネマと戦争』読了。
- 作者: 田村志津枝
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/09/01
- メディア: 単行本
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台湾では、
という噂が根強くあるということから書かれた本。上述の『東京人』で、劉吶鷗が暗殺された日について山口淑子自身が、「昭和十五年九月のその日、劉さんと「パークホテル」で待ち合わせをしていたのですが、いくら待っても来なかった」(p. 31)と語っており、私もこれを読んで「えー、うそー、聞いてないー」と思ったが、日本では初めての公の場での発言だったらしい。
この本は基本的に、当時から現在までに書かれた、李香蘭や劉吶鷗や中華電影公司や当時の上海についてのテキストを元に、劉吶鷗が暗殺され、李香蘭がその墓参りに行くまでの二人の行動を、時間順に描いている。例外的に数人の台湾人のインタビューが使われている。このような構成からも予想されるように、結局真相は明らかにならない。ふたりが恋人同士であったのかどうかも、劉吶鷗がなぜ暗殺されたのかも。最も参考にされているらしい松崎啓次の『上海人文記』は読んでいないが(なにせ1941年に出た本だから)、参照された本の多くを読んでいることもあり、新しい情報はあまりない。
この本で言わんとしていることのひとつは、「劉吶鷗は、日本の植民地下の台湾に生まれたために、日本と中国の、あるいは日本人と中国人のはざまでさまざまな苦悩があった。しかし彼のまわりの日本人も、のちに彼について書いた日本人も、彼が台湾人であること、植民地の人間であることに全く注意を払っていない。時には日本人として、時には中国人として都合よく扱うだけで、誰も彼の苦悩をわかっていなかった」ということである。そのこと自体はたしかにそのとおりで、それはきちんと指摘しておくべきだ。ただ、たとえ親中的ではあっても、台湾にいたわけでもない当時の内地人にそれを求めるのは過大な要求であると思う(だからしかたがないと言いたいわけではない)。
このことに関連して、著者のなかには「川喜多長政は過大評価されている」というのがあるようだ。今のところ私には、川喜多が過大評価されているかどうかを判断することはできない。戦後に書かれたものは、「真意はそうではなかった」というふうに、よい面だけを強調したり美化したりしがちである。一方、戦前の発言もまた額面どおりに受け取ることはできない。軍のバックアップで作られた映画会社で、軍に口出しをさせないようにしようと思えば、彼らを納得させたり喜ばせたりするようなことも言っておかなければならない。もちろん、何もかも時代や政治のせいにしていいということではなく、映画人であろうと民間人であろうと、また真意がどうであれ、自分の言動に対しての責任はとらなければならない。だから、いろいろな資料をそろえたうえで論じるのなら理解のしようもあるのだが、当時語ったことを断片的に引用してはあれこれ言うのは感心しない。
この本は終始そのように書かれている。テキストを引用しつつ二人の行動を追っていくなかに、「そのテキストを読む著者」というのが過剰なまでに現れる。ひとつのできごとを描写したり、ひとつのテキストを引用したりするたびに、これを読んでこういう疑問がわいたとか、この人の心の中はこうだったに違いないとか、あるいはそのテキストを書いた人への批判が述べられている。とにかく、ものすごく情緒的なのだ。ひとつひとつのテキストは単なる断片だから、全体の文脈から切り離したところで一部だけを批判するというのは、時にいちゃもんをつけているだけのようにみえてしまう(書かれていることに賛成しないということではなく、ここで書くべきことではないと思っているだけだ)。
たとえば、上述の『中華電影史話』については、劉吶鷗の日本語のダ行音がラ行音になりやすかったと指摘されていることを批判している。しかし著者の辻久一は、「あんなに日本語がうまいのに、やっぱりダ行は訛るんだな」と感じた記憶を素直に書いているだけだと思う。そのことが書かれた段落から、「短い挨拶の中に、その記憶が残っている」という最後の一文だけ省いて引用されているのは、すごく恣意的に感じられる。辻久一は、このあとに次のように書いている。
…日中戦争が起こらなかったら、その生涯はどうなっていただろうか。一本気の情熱家というタイプであったようだ。それが、民族の血は中国、国籍は当時の日本、それに加えて教養は英・仏という多様性は、才能の誇りよりも、むしろあまりの融通無碍に、かえって、なやみとさびしさがあったのではないか。……(『中華電影史話』p. 136)
『李香蘭の恋人』は、この部分について全く言及していない(たぶん)。たしかにここには、植民地人だからということや、日本のせいかもしれないということは書かれていない。しかし、ほかを引用しておきながらここを無視しているところに、さらなる恣意性を感じる。
劉吶鷗が漢奸として殺されたことが明らかだったとしたら、そこに焦点を絞ることで、戦後台湾に戻って“半山”と呼ばれた台湾人や、あるいはBC級軍事裁判で「日本兵」として処刑されてしまった台湾人へとつながっていったかもしれない。死の真相が明らかではないこともあるが、この本はそういう社会的な視点ではなく、あくまでも感情的なレベルで書かれている。
李香蘭を持ち出してきた意味もいまひとつわかりにくい。両者に共通するものを見出しているところもあるが、著者は李香蘭にはけっこう厳しい。国や民族のはざまで生き、漢奸だと疑われもしたが、その運命は明暗を分けたふたり。彼らの共通点、相違点をきちんと整理したら、そこから多くのことが浮かび上がってくるし、もっと興味深い内容になったに違いない。過度に感情的になることで、残念ながらこの本は多くのものを失ってしまったように思われる。
ところで、劉吶鷗とも交流のあった台湾人で、同じように日本に来た後大陸へ渡った江文也のことが少し書かれている。日本では上田に住んでいたそうで、最近上田に行ったのに全然知らなかったので残念に思った。といっても、私は『珈琲時光』[C2003-18](asin:B0007MCICE)を観たというだけで、江文也のことは何も知らないのだが。
それから、『日本の女優』(四方田犬彦)[B303](asin:4000263196)、『李香蘭と東アジア』(四方田犬彦・編)[B441](asin:4130800949)、それに李香蘭と林獻堂のことが書かれた『中国見聞一五〇年』(藤井省三)[B638](asin:4140880759)が参考文献リストにないのが気になった。
最後に、著者の『悲情城市の人びと - 台湾と日本のうた』[B83](asin:4794961030)は、台湾に興味をもちはじめたころに読み、参考になるところが多かった本である。しかしながら、[二月二八日に、藍博洲著『幌馬車之歌』(増訂邦訳版)を読む−−−日本人の台湾認識の軽薄さを嘆く](LINK)に書かれていることがたいへん気になっている。反論なり謝罪なりするべきだと思う。