実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『しろばんば』[C1962-40]の湯ヶ島

しろばんば』の舞台は、大正のはじめの湯ヶ島である。映画を観て不思議に思ったのは、「温泉町」という雰囲気が全く感じられないことだった。共同湯に行くシーンはあるものの、それは川の中にぽつんとある住民のための場所である。「湯ヶ島ってこんなところなの?」というのが、まず最初の素朴な感想だった。

実際に行ってみた湯ヶ島は、川に沿って温泉宿が並ぶ、典型的な温泉町である。温泉街を撮ると現代的なものが写ってしまい、大正に見えなくなってしまうからなのだろうか。それとも、観光業に従事していないふつうの人にとっては、いわゆる温泉街は自分たちの日常とは関係のない場所なのだろうか。それにしても…と思う。温泉街や町の様子が映らないのは仕方がないとしても、なんといったらいいか、かもしだす雰囲気が、映画と実物とで全然違う。映画は1962年だから40年以上は経っているわけだが、湯ヶ島自体はそれほど大きな変化もなさそうだし、温泉街のそばにも自然のままのところはたくさんある。

上のエントリーにも書いたように、今年は「井上靖生誕百年」らしく、湯ヶ島は「『しろばんば』文学散歩」の舞台と化している。小説に出てくる場所には立て札やナンバー入りプレートが付けられ、町のあちこちに文学散歩の地図が貼ってある(明後日は文学散歩のイベントがあるようだ)。原作は読んでいないので、気になるのは実際の場所よりもロケ地なのだが、映画に関しては全く無視されていてなんの言及もない。ひとつの仮説として、映画はほとんど湯ヶ島以外で撮られているのではないかということが考えられる。そう考えると無視されているのも納得がいく。


とはいっても、いくつかの場所は湯ヶ島で撮られているようだ。まずは天城神社(左写真)と西平神社(右写真)。天城神社はお祭りか何かのシーンでちらっと出るところ、西平神社は赤ちゃんを連れたさき子(芦川いづみ)と洪作が歌を歌いながら散歩に行くところ。西平神社のほうは、鳥居の位置が怪しいし、建物も替わっているのでここという確信はない。

それから湯ケ島小学校(左写真)(公式)。ここも建て替えられているので確認できない。ただ、高さや太さは明らかに異なるが、入り口の門柱のようなものが似ていて、以前のものに似せて作られたのではないかという気もする。

映画の主要な舞台は、主人公・洪作の住む家と、その本家である「上の家」だ。「上の家」は現存している(右写真)が、映画のロケ地とはかなり異なる。洪作の家はすでになく、「しろばんばの碑」のある公園になっていた。大正時代の町を再現するのを避けるためだと思われるが、映画のなかでは農村のイメージが強かった。ロケ地はもっと田舎だと思われるが、農村の旧家とは家の構えが違っていたのでそのあたりも不思議である。