実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『地平線』(吉村操、白井戦太郎)[C1939-16]

11時半ごろ銀座に着くと、雨の中央通りは東京マラソンの真っ最中。すでに浅草で折り返してきた人がちらほら、浅草方面に向かう人は団子状態。沿道の見物人は一重程度でそう多くはない。今日は旧正月の元旦なので、昼ごはんは天龍。鍋貼じゃ駄目だが、一応一日遅れで餃子を食べる。

久しぶりのフィルムセンターは、「シリーズ 日本の撮影監督(2)」という特集(公式)。全然知らない人だけれど、松井鴻が撮った『地平線』を観る。監督も知らない人のこの映画を観たのは、満蒙ロケ映画だから。満蒙国境地域で二ヶ月にわたるロケを敢行したということで、全編満蒙の草原が舞台であり、当時の満蒙がフィルムに残されているという意味で貴重な作品。

しかしそれだけの作品ともいえる。お話は、考古学者(藤間林太郎)と娘(大河百々代)、従弟(水島道太郎)の一行が満蒙の調査旅行をしていて、かつて世話になった内蒙の王国の王子(近衛十四郎)と再会するというもの。途中、王子が外蒙軍を脱走したり、外蒙軍と内蒙軍が衝突したりするが、追跡シーンや戦闘シーンがちょっとあったと思ったら、すぐに脱走に成功したり内蒙軍が勝利したりして、緊迫感が全然ない。怪我をして一行とはぐれた水島道太郎はきれいな蒙古娘に手厚く看病され、大河百々代の前には王子様の近衛十四郎が現れる。そして水島道太郎は考古学者たちと再会。「これから四角関係のドロドロが始まるぞ」と期待させたところであっけなく終わり。不満だ。

当然国策映画で、クレジットには「後援:蒙疆連合委員会、蒙古連盟自治政府」とあり、日本の内蒙侵略を正当化する空々しい台詞がちりばめられている。でも「満蒙で撮るから一応入れときました」という感じのおざなり感で、逆に空々しさを増強させているといえるかもしれない。

この映画は1939年10月というすごい時期に公開されている。当時の広告には、「明日の戰場として風雲を孕む大平原に炎暑と黄塵、決死的危險を冒して遂に完成せる」などと書かれているようだが、まさかノモンハン戦争の最中に撮っていたのだろうか。