実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ワイルドサイドを歩け(頼小子)』(韓傑)[C2006-26]

朝から有楽町へ。今日の一本目、東京フィルメックス八本目は、コンペティションの『ワイルドサイドを歩け』。監督の韓傑(ハン・ジェ)は、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の助監督をしていた人らしい。賈樟柯が製作を担当しているということもあり、コンペの中で最も期待していた作品。

映画は、山西省の炭坑町に暮らす三人の若者を描いたもの。まず、この映画の色がすばらしい。荒れた丘陵の茶色っぽい土の色、石炭の黒っぽい色、それに枯れた草木の色。このこげ茶っぽいトーンで描かれる、樹木のない丘陵と炭坑の、荒涼とした埃っぽい風景。そこに射し込む、冷たくてやはり茶色っぽい日の光。どこまでも乾いた空気。その殺伐としたワイルドな雰囲気は、「西部」という言葉を否応なしに連想させる。もっとも山西省は、中国の中ではかなり東に位置しているのだが。美しいものなど何ひとつ映っていないのに、とにかく美しいフィルムである。

前半は、仕事もせずにブラブラして、いろいろとろくでもないことをしている三人を、引いた位置から淡々と描いている。やがて彼らが問題を起こして逃亡すると、三井弘次に金を持ち逃げされる…じゃなくて、仲間の中で最も邪悪そうな顔の二寶に金と車を持ち逃げされ、いろいろあって三人はバラバラになる。するとキャメラは主人公の喜平に少し近づいて、彼の内面をとらえていく。

喜平は、もともとそんなに悪人だったわけでもない。それがちょっとしたきっかけで犯罪を重ねてしまうことになる。しかしこの映画は、彼がとことん落ちていくのを描くわけでもないし、かといって立ち直るのを描くわけでもない。一人になった彼は父親に会いに行ったりいろいろしたあとで、すべてを引き受けようと決めて故郷に帰る。しかしそこで待っていたのは想定外の状況であり、結局彼は前にも後ろにも進めない。彼の葛藤や逡巡は、行動や台詞で明示的に示されるわけではないが、ものすごく生々しく伝わってきて、その痛みや切実さに心を打たれる。映画は何も解決しないところで終わるけれど、そこには「青春の終わり」といった気分が残る。観ていて『風櫃の少年』[C1983-33]とか『プラットホーム』[C2000-19]とか『さすらい』[C1976-03]とかをなんとなく連想した。

近くに炭坑があり、職はあるはずなのに、安全管理は不十分で、労働は過酷で、将来に何の展望もないそんなところで働きたくはない若者たち。この映画は、一方でいまの中国のひとつの現実、そしてそこにある問題を具体的に描いていて、一見それは私たちからかけ離れた、未知の世界のように見える。しかし実は、これはどこにでもある、普遍的な物語であり、私たちの映画でもある。

この映画のロケ地は、クレジットをちらっと見たところでは山西省孝義市だろうか。映画中に出てきた炭坑事故は孟南庄煤礦だったかと思うが、これは孝義市驛馬鄉にあるようだ。2003年に大規模なガス爆発事故が起こっている。中国の行政区分についてはあまりよく知らないのだが、山西省には地級市というのが十一あって、孝義市はその中の呂梁市にある。では住所は‘呂梁市孝義市’と書くのかというと、人民日報には‘呂梁地區孝義市’と書いてある。ちなみに孝義市は、賈樟柯の出身地、汾陽市(やはり呂梁市にある)の南隣である。

上映後は、韓傑監督をゲストにQ&A(採録ココ)があった。ワイルドな人を想像していたら、マイルドな人でびっくり。

ところで、公式カタログの主役の人の名前が間違っている。白培將という漢字が正しいとすれば、バイ・パイジァン(Bai Paijiang)ではなく、バイ・ペイジァン(Bai Peijiang)だと思う。