実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『激動の昭和史 沖縄決戦』(岡本喜八)[C1971-23]

今日の二本目、フィルメックス九本目は、特集上映・岡本喜八「日本映画のダンディズム」の『激動の昭和史 沖縄決戦』(映画生活)。昼ごはんは餃子が食べたかったが、フィルムセンターが満席になったら困るので、ニューキャッスルの辛来飯にしておく。食後のコーヒーも我慢。フィルムセンターに着くと、入口のスペースが人であふれていたので焦ったが、開場直前で移動していただけだった。最終的にはかなり入っていたが、料金が800円だと、見事なまでに常連さんがいない。

激動の昭和史 沖縄決戦 [DVD]

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私にとって、岡本喜八は特に好きな監督でも嫌いな監督でもない。観たのはどれもそれなりにおもしろかったが、そもそも鶴田浩二が出ているとかいった基準でしか観ていないので、今回も「全部観るぞー」といった気概もない。この映画を観ようと思ったのは、沖縄戦を描いていることに興味があったのと、チラシに「必見の名作」と書いてあったのにつられたのと、丹波哲郎が主演しているのとが理由。もちろん三番目の理由がいちばん大きい。ほかに『地獄の饗宴』も観たかったが、メイン会場の観たい映画とわざわざ重ねたかのようなスケジュールのため観られなかった。

激動の昭和史 沖縄決戦』は、本土は沖縄を犠牲にし、軍隊は民間人を犠牲にするなかでの沖縄の悲劇を描いたもの。前半は、大本営との対立などもまじえて、沖縄の第三十二軍司令部を中心に描かれる。司令部で作戦立案の中心となるのは、長参謀長(丹波哲郎)と八原高級参謀(仲代達矢)の二人。作戦会議のシーンなんて、画としては全然おもしろくない映画も多い。ところがここでは、丹波哲郎仲代達矢が話しているだけですごく絵になっている。要するに前半は、タンバを堪能するための映画である。一方の仲代達矢もなかなかよい(ファンじゃないけど)。役柄はタンバよりいい。司令官役は小林桂樹。ちょっと前までは、社長にこき使われたり婿養子で肩身の狭い思いをしたりしていた「日本一困った顔が似合う男」だったのに、すでに簡単ケータイをお薦めしそうな雰囲気であった。

後半は、司令部よりも実際の戦場や戦闘の描写が中心となる。兵士たちの戦い、徴兵された学生や徴用された女学生の活動、陸軍病院の様子、民間人の被害や集団自決など、様々なエピソードが積み重ねられていく。それはまさに、死体を積み上げながら沖縄戦を描いているといってもいい。手足もどんどん飛ぶし、『エレクション2』[C2006-22]もびっくりの描写もかなりある。「降伏」と「捕虜」という言葉さえ知っていれば助かったはずの命が、次々に無駄に失われていくのは見ていてはがゆい。小林桂樹丹波哲郎切腹するシーンもあるが、どうせ死ぬのに「外は危険だからここで」とか言っていて、ばかばかしいことこのうえない。

戦争などの被害においては、数値が問題になることが多いが、具体的な被害者を差し置いて数値だけが語られるのに違和感を覚えることが多い。この映画では、時おり数値を示しつつ、具体的な状況が描かれているので、たとえば「沖縄県民の三分の一が死んだ」というのがいったいどういうことなのか、実感としてよくわかる。想像力が決定的に欠けている最近の日本人に観てほしいと思う。

この映画は豪華スター映画ではあるが、丹波哲郎仲代達矢小林桂樹という主演陣をみてもわかるとおり、かなり渋めである。たとえば池部良。ファンじゃないけど(←いちいち断るな)、彼が出ると映画が締まるような気がする。『ワイルドサイドを歩け』を観て三井弘次を連想していたら、いきなりこっちに出てきてびっくりした。

作られたのは沖縄返還の前年。返還を前に一種の沖縄ブームだったのか、『博徒外人部隊[C1971-21]や『日本女侠伝 激斗ひめゆり岬』なども同じ1971年に作られている。当時の製作意図はわからないが、返還された沖縄と本土がうまくやっていくためには、沖縄で何があったのか、本土側でもきちんと把握しておく必要があるといった認識があったかとも思われる。このような硬派な映画が豪華キャストで作られたということは、当時はいまよりもまっとうな社会だったのだろうと思う。

大本営で語られる言葉、「沖縄は本土のためにある」。この構図、この認識はいまも全く変わっていない。そういう意味で、この映画はきわめて今日的な意義を持ち続けている。