実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『マクシン(Mukhsin)』(Yasmin Ahmad)[C2006-18]

再び電車で六本木へ移動。晩ごはんを食べる時間もなく、劇場へ直行する。今日の三本目、映画祭十八本目は、やはりアジアの風の『マクシン』。先日『ラブン』[C2003-31]を観たヤスミン・アハマド監督の最新作。

内容は、ひとことでいえば初恋もの。以前『フェーンチャン ぼくの恋人』[C2003-22](asin:B000B63G4A)の感想に「お子様のラヴ・ストーリーが苦手」と書いたが、『マクシン』は『フェーンチャン ぼくの恋人』の100倍くらいよかった。もちろん映画の出来や内容によるところが大きいが、主人公の年齢が比較的高く、大人の延長線上で考えられる点も理由のひとつだろう。

主人公は、女の子より男の子と遊ぶほうが楽しい10歳の少女オーキッド(Sharifah Aryana)と、休暇の間叔母の家に滞在している12歳の少年マクシン(Mohd Syafie Bin Naswip)。この二人が知り合って仲良くなる。オーキッドはマクシンのことを気の合う友だちととらえているのに対して、マクシンは最初からオーキッドを女の子として意識している。そのことに関連してオーキッドはマクシンと仲違いし、仲直りしないまま別れの日を迎える。かなり異なった二人の家庭環境を絡めながら、大人の入り口に立つ年ごろの、友情と愛情のあいだの微妙なゆれがうまく表現されている。マクシンがオーキッドに渡した凧に書かれたメッセージを観客に見せないところや、二人の出会いと別れが対称的に描かれているところもいい。また、ニーナ・シモンの『行かないで(Ne Me Quitte Pas)』がすごく効果的に使われていた(思わずCDを買ってしまった)。

去年観た『細い目』[C2004-32]は、もう少しベタな映画だったように記憶しているが、『マクシン』は長回し気味の落ち着いた映像で、洗練された印象の映画だった。主演の二人は、かわいいけれど大人びた表情で存在感があり、演技も自然でよい。『ラブン』『細い目』と同様、異様に仲がいいオーキッドの両親をはじめ、家族もみな魅力的だ。オーキッドを説得したり慰めたりするのに、「サッカーの試合に連れて行ってあげる」としか言えないお父さんが微笑ましい。こういったまわりの人間の描き方に、監督の肯定的な人間観が現れているように思う。

『細い目』とは違って主要な登場人物はマレー系だが、特筆すべき点はオーキッドが華語小学校に通っていること。彼女の部屋には黒板があって、そこに最近の出来事が中国語で書かれている。これにも字幕をつけるべきなのに、なかったのが残念だ。字幕といえば、華語や英語の台詞には括弧をつけて、マレー語の台詞と区別してあってよかったが、『行かないで』のフランス語の歌詞にはなぜか括弧がなかった。

『ラブン』『マクシン』ともによかったので、今回『ガブラ(Gubra)』が観られなかったのがなんといっても残念である。『フェーンチャン ぼくの恋人』が一般公開されたことを考えれば、『マクシン』は十分公開可能なはずだ。その際にはもちろん『ラブン』『細い目』『ガブラ』『マクシン』をセットでお願いしたい。

上映後にティーチインがあり、予定されていたヤスミン・アハマド監督に加え、主演の二人も登場。ヤスミン監督は、分身的なヒロイン、オーキッドをかわいい女の子に演じさせているけれど、実は典型的マレーおばちゃんなのではないかとひそかに思っていたが、全然違ってきりっとした感じの人だった。ちなみに典型的マレーおばちゃんとは、丸顔、色黒、丸眼鏡に民族衣装のマレー系女性である(マレーシアではこういう女性をよく見かけるので私が勝手に抱いているイメージであり、何の根拠もない)。ゲストの方々も一緒に映画を観ていて、客席にはほかに何宇恆(ホー・ユーハン)監督の姿があった。