実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『愛は一切に勝つ(Love Conquers All)』(陳翠梅)[C2006-33]

仕事が忙しいにもかかわらず、今日は午後半休。まず「清水宏大復活!」の最終日に駆けつけて『何故彼女等はそうなったか』を観、それから「ヤスミン・アハマドとマレーシア映画新潮」で何宇恆(ホー・ユーハン)監督の『霧』を観る、というのが当初の計画だった。ところが、「ヤスミン・アハマドとマレーシア映画新潮」のプログラムをよく見ると、日程が合わないと諦めていた陳翠梅(タン・チュイムイ)監督の『愛は一切に勝つ』の上映が、『霧』の前にあるではないか。『何故彼女等はそうなったか』は家にDVD-Rがあるので、これを逃せばいつ観られるかわからない『愛は一切に勝つ』を取ることにした。

国際交流基金の企画である「ヤスミン・アハマドとマレーシア映画新潮」(LINK)は、去年の東京国際映画祭で上映されたマレーシア映画のうち、公開が決まっている『Rain Dogs(太陽雨)』[C2006-15]を除く8本と、その『Rain Dogs』の監督である何宇恆の旧作、『霧』を上映するという好企画。火曜から土曜までという日程、各作品2回のみの上映、場所はアテネ・フランセ文化センターという過酷な企画ながら、昨年観逃して以来観たいと念じていた『愛は一切に勝つ』と『グブラ』(映画祭では『ガブラ』だった)、それに『Rain Dogs』がめちゃくちゃよかった何宇恆監督の旧作が観られるのならば、「仕事なんて、なにさ」という感じである。

『愛は一切に勝つ』は、女の子が男に騙される話である。舞台は、クアラルンプール郊外の都市、ペタリン・ジャヤ(PJ)。行ったことがないのでよくわからないが、映画で見るかぎりはそれほど都会でもない。「田舎から出てきた女の子の転落物語」といろんなところに書いてあるが、果たして転落なのか、ということを含め、いろんなふうに解釈できる話。ラストの解釈に応じて、一見ベタなタイトルもいろんなふうに解釈できる。登場人物の内面が台詞などで表されることなしに行動から行動へと移っていき、その行動も中心より周縁に重きが置かれていて、様々な解釈を生む余地がある。しかしどのように解釈しても、女の子が自分から進んでではなく恋に落ちて「恋は盲目」になる話、特にそれが女性監督によって撮られるというのは、どうも後味の悪いものがある。

この映画でまず魅力的なのは、ヒロインの阿聘(アピン)がぶらつく夜市の雰囲気だ。台湾のような食べ物の屋台や香港のような洋服の屋台。マレー系やインド系も歩いている街の様子。それから夜の闇に浮かぶ、二つ並んだ公衆電話。『いますぐ抱きしめたい[C1988-46](asin:B000EZ82YW)や『欲望の翼[C1990-36](asin:B000EZ82YM)の例をひくまでもなく、公衆電話や電話ボックスは、かつてとても映画的で魅力的な場所だったが、携帯電話が普及して以来、登場の機会をなくしつつある。この映画では、ケータイをもっていない阿聘が毎夜のようにここに来て、故郷の家やボーイフレンドに電話をかける。何度か出てくる、バイクで走るシーンもよかった。ただ、いまひとつ湿った空気感に乏しいのは、やはりディジタルであるためだと思われ、その点が惜しまれる。阿聘を演じる黄麗慧は、すごくかわいいというわけではないし、若干太めな気もするが、かなり魅力的な女の子だった。

言語は主に普通話と広東語だが、年が若いほど普通話になるのがリアルでおもしろい。マレーシアの華人は、基本的に普通話も福建語も広東語も話せると思うが、最もメジャーなのは福建語コミュニティである。ところが、中国系マレーシア映画に出てくるのは広東語コミュニティが多い。陳翠梅監督は「タン・チュイムイ」という読みからわかるように福建系のはずだが、やはり映画に出てくるのは広東語コミュニティ。これは、香港のマーケットや香港からの出資を意識しているからなのだろうか。

ところで、サイトおよびチラシには、監督の名前が唐翠梅と書いてあるがこれは間違い。サイトには、このほかにも唖然とするほど間違いがある。それからアテネの上映開始の英語アナウンスは、変なイントネーションがすごく気になるので、録りなおしたほうがいいと思う。