実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『台湾文学のおもしろさ』(松永正義)

『台湾文学のおもしろさ』読了。

台湾文学のおもしろさ (研文選書)

台湾文学のおもしろさ (研文選書)

台湾文学って10冊も読んでいないのに、こんなの読んでだいじょうぶだろうかと思いつつ読んだが、だいじょうぶだった。おもしろかった。読み終わるのを待たずに、台湾の小説を5冊も買ってしまった。この本には80年代に書かれた論文もあるが、古さは感じられず、非常に生々しい。戒厳令はまだ解除されておらず、美麗島事件の傷痕をひきずっている。今まで思っていたよりも、美麗島事件の傷は大きくて深いようだ。たぶん私は見逃しているけれど、80年代初めの映画にも、その影響は現れているに違いない。

この本では、第二次大戦後の台湾および台湾文学の歩みが、「台湾の取り戻し」と「中国の取り戻し」という二つの視点から語られていて、これまで今ひとつもやもやしていた部分が非常にすっきりとわかった。

 ……戦後すぐの時期であれば、台湾の取り戻しと、中国の取り戻しとは、敵対的な関係にあるものとは意識されなかったのではないでしょうか。国民党の支配と冷戦構造とが、このふたつを敵対的なものとしてイデオロギー化し、「台湾」の回復が、「中国」の排除を意味するような構造を形成してきたのではないかと思います。……(『台湾文学のおもしろさ』p. 23)

そして今回新たにわかったことは、70年代にはいったん、台湾の取り戻しと中国の取り戻しとが共存するようなナショナリズムが誕生していたということである。

……だが私たちはその現実へと向かう情熱とともに、何よりもそのナショナリズムの新しさに注目しておきたい。それは「中国」を切り離した台湾ナショナリズムでも、「台湾」を遅れたもの、不純なものとしてしりぞける中華主義でもない、まず台湾に土着するところから、中国を含めて世界に開いてゆくものであり、未来へ向けてのものである。五〇年代のナショナリズムの分裂から、六〇年代の喪失を経て、七〇年代に再生したこのナショナリズムのありかたのなかで、ここまでずっとみてきた植民地時代以来の「傷痕」が、確かに克服されつつあるのを感ずるのは、私たちばかりではあるまい。……(『台湾文学の歴史と個性』p. 68)

その事実に驚くとともに、それがそのまま育たずに、現在のような台湾の取り戻しだけが過剰に進む状況になってしまったことは、やはり残念である。

もうひとつ、戦後の台湾の言語状況についても新たな知識が得られた。これまで、国語の強制と日本語の禁止と台湾語の禁止とは、セットのように思っていた。実はそうではなく、日本語の禁止と台湾語の禁止との時期はかなりずれており、また国語の抑圧性も、本来的なものから台湾固有のものへと変わっていったということである。

 回復されるべきものとしての台湾語から、禁止されるべきものとしての台湾語への変化は、台湾において回復されるべきものとしての「国語」から、台湾という価値を否定するものとしての「国語」への、国語の意味合いの変化と平行して起こっていったことであり、その過程が「われわれの言葉」としての台湾語の内部化と、「国語」の外部化とを引き起こしていったのだと考えられる。(『戦後台湾の「国語」問題』p. 226)

 こんなふうに見てくると、戦後台湾の「国語」は、近代化の基盤としての意味合いから、総動員態勢の基盤としての意味を通して、エスニックな支配の道具としての意味にまで、徐々にその性格を変えていき、またこれにともない、イデオロギー的統合の道具としての意味合いも、日本を排除して中国に組み込むことをめざすものから、中国のなかでの正統性の確立という意味合いへ、さらにエスニックな差異を「中国」というフィクションのなかに解消、統合しようとするものへと、意味合いを変えていったのではないかと思われる。(『戦後台湾の「国語」問題』p. 228)

最後に、冒頭近くにある次のような文章を挙げておきたい。

…この世の中には、言論の自由があってことばに力のない社会と、言論の自由がなくてことばに力のある社会と、ふたつの社会があって、日本は前者に属し、台湾や大陸は後者に属しているように見えました。その後八〇年代後半ごろから台湾は前者の社会に移行しはじめ、少し遅れて大陸もまた前者に移行しつつあります。……(『台湾文学のおもしろさ』p. 9)

実は冒頭「…」で省略したところに「これはまあ冗談としていうのですが、」とあるのだが、冗談ではなく全くそのとおりで、非常に重い言葉であると思う。