実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain)』(李安)[C2005-33]

李安(アン・リー)監督の“斷背山”こと『ブロークバック・マウンテン』(公式)を観る。混んでいるという噂だったが、今日から2館に増えたせいか初回はすいていた。

子供の頃に父親からかけられたホモフォビアの呪いのために、かえって同性愛に陥り、その負のモデルであった近所のカウボーイたちと同じ運命をたどることになる青年の物語。同性愛を許さない社会の雰囲気は、迫害などの形での直接的な描写はほとんどないが、イニス(ヒース・レジャー)の中に内在化された形で表されていて、彼が人目を恐れて慎重に振る舞うことが、逆にジャック(ジェイク・ギレンホール)を死に追いやることになる。

こういった物語の枠組にふたりの切ないラヴ・ストーリーがうまく絡みあえば、ものすごく心を揺さぶられるのだろうが、(一般には、切ないラヴ・ストーリーといった感想が多いのに反して)私はそちらのほうにはそれほどはまり込めなかった。安易すぎる比較かもしれないが、たとえば關錦鵬(スタンリー・クワン)の『藍宇 情熱の嵐』などと比べて天と地の差だった。娘が来ているから一緒に過ごせないとか、養育費がたいへんで仕事を休めないといった理由で、ふたりはだんだん会えなくなるのだが、それが辛いというよりも、「人生ってそういうもんだよね、いつまでもブロークバック・マウンテンの頃のままではいられないよね」と、ちょっと醒めた目で納得してしまったりした。

それはひとつには、ヒース・レジャーが好演しているのに対し、ジェイク・ギレンホールの存在感がいまひとつだったということもあるが(年のとり方も不自然だったし)、60年代のワイオミングという時代や土地の空気が、映像からあまり感じられなかったのが主な原因だと思う。李安の映画の中では『アイス・ストーム』が一番いいと思うが、この映画では、台湾人の李安と直接つながりのない70年代のニューヨーク郊外の住宅地の空気がかなりうまく醸し出されていた。それだけに、『ブロークバック・マウンテン』の空気の薄さに不満を感じてしまう。

ただし、この映画はジャックが死んでから俄然よくなる。特にイニスがジャックの両親を訪ねるところは、イニスを迎えたこの家の中の微妙な空気や、それが徐々に変わっていくさまが伝わってきて、最も印象に残るシーンである。最後のトレーラー・ハウスも悪くなかった。ただ最後の台詞の字幕がかなり意訳されていたのが最悪だと思う。私はここで元の台詞は聞いていなかったのだが、“Jack, I swear"だったらしい。いろいろと解釈する余地のある台詞に対して、解釈を固定するような字幕を当てるのはいかがなものか。ここが余韻を残す字幕になっていたら、おそらく受ける印象はかなり違ったものになっていただろう。