実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『時の流れの中で(經過)』(鄭文堂)

10月29日、金曜日。晴れ。有給休暇。今日はまず六本木で1本観て、渋谷へ移動する予定である。

映画祭8本目は、コンペティション部門の『時の流れの中で』。『夢幻部落』の鄭文堂監督の新作である。

台湾の故宮博物院を舞台にした映画。寒食帖を見に台湾に来た日本人青年・島(蔭山征彦)と故宮博物院学芸員・阿靜(桂綸鎂)との交流を表面的なストーリーとして、故宮博物院やその宝物の歴史、それらに関わる人々の想いなどが描かれている。一見すると、国民党が大陸から宝物を奪ってきたことを正当化しているように見えなくもない危険な題材だが、故宮の宝物が歴史に翻弄され、縁あって台湾に来たように、外省人もまた縁あって台湾に来た人々であり、現在の台湾を構成する一部なのだということが、監督のひとつのメッセージではないかと思う。

田豐演じる老人は、若い頃、故宮の宝物を運んだ人物である。阿靜は幼い頃に彼の話に魅了され、成長して学芸員になる。東横(戴立忍)はこの老人の話を聞き、故宮博物院の歴史を本にまとめようとしている。島は寒食帖に関わりをもった祖父の思い出話から、台湾へとやってくる。そして阿靜は、寒食帖の切手に導かれて島の力になろうとする。このように、この映画は故宮博物院に関わる縁でつながっていく人々の物語であり、同時に記憶を継承していくことについての物語でもある。直接描かれているのは島が台湾に滞在する数日間だが、その背後には、阿靜と東横の数年間があり、故宮の宝物が北京を出てからの数十年があり、芸術品が作られてから今までの長い長い年月がある。そのような長い年月から見れば取るに足りないほどささやかな人々の営みが、重層的な時の流れの中に置かれることによってかえって鮮やかに浮かびあがり、とても大切なものに思われてくる。

宝物を運んだ老人を演じるのが田豐だというのは、この映画の印象を決めるうえで重要である。変な俳優だったら、最初から「国民党の手先めっ」という目で見てしまいかねない。田豐は胡金銓映画や『香港ノクターン』でもおなじみの俳優だが、私にとってはなんといっても『童年往事 時の流れ』の父親役である。下着のような格好で太極拳をしているシーンが大半だが、彼がそこにいるだけで、特別な気が流れているように感じられる。

上映後は、鄭文堂監督、主演の桂綸鎂と蔭山征彦をゲストに、ティーチ・インが行われた。司会者が終わりだと言ったあとで、強引に感想を述べ、勝手に自己紹介をし、「封切りはいつ?」というゲストとは無関係の質問をする困った観客がいた。ティーチ・インはゲストとの交流の場なのだから、ゲストが答えられないような質問をしたり、自分の言いたいことだけ滔々と述べたりするのは問題外である。ただ、「まだ時間があるのでは?」というこの観客の言い分はもっともだ。最初にゲストの挨拶があったのに、また最後に「お言葉をいただ」いたりする必要はない。そもそも司会者は、口では「一人でも多くの方が質問できるように」と言っているが、本心からそう思っているようにはみえない。時間厳守で進行することはもちろん重要だが、無駄なおしゃべりをしたりして、多くの観客の質問を受けようと努力している様子は微塵も感じられない。かなり不愉快な、観客軽視の態度である。去年までは襟川クロが最も不快な司会者大賞だったが、今年はこの青柳という人(映画評論家らしいが聞いたこともない)にこの不名誉な賞を進呈することにする。

ティーチ・イン詳細