実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『グランド・マスター(一代宗師)』(王家衛)[C2013-07]

TOHOシネマズ日劇で、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『グランド・マスター』(公式)を観る。6日ぶり二度め。

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  • やはり後半が圧巻。章子怡(チャン・ツィイー/ジャン・ズーイー*)が静かにしゃべり、梁朝偉(トニー・レオン)が神妙な顔で聞いている。それだけの空間にも、登場人物たちの運命の数奇さみたいなものが渦巻いていて、ただただ胸がいっぱいになった。
  • 前半のほうが、アクションもあり、功夫の思想も出てきて、葉問の活躍が前面に出ている。後半の彼はほとんど傍観者のようになってしまうのだけれど、それで存在感がなくなるかというとむしろ逆だと思う。後半を観てしまうと、前半はただの前座に思われる。
  • こういう話はふつう主人公の成長が描かれるが、葉問は最初から分別のある大人なので、表立って成長は描かれない。彼はいろんな人と闘ったり、話を聞いたりして、彼らの過酷な人生を受け止める。彼自身もまた、戦争や内戦による困窮や家族との別れなど過酷な体験をするが、その苦労や痛みははっきりとは描かれない。ただこれらふたつの相互作用のようなものがうっすらと感じられる。他人の過酷な運命を引き受けることによって自らの過酷な運命を乗り越える、また自らの過酷な運命を乗り越えた経験によって他人の過酷な運命をも引き受けることができる。そしてそれらは彼の成長というか円熟につながっている。そんなものを演じられるのはやはり梁朝偉をおいていない。
  • 佛山や香港の外景は、かなり部分的にしか写されない。夜のシーンや雨のシーンが多いのも、外景をくっきり見せないための工夫のひとつであるように思われる。街がどうなっているのか、そのどこに家があるのかといったことが具体的に示されないのは一見不満なことのように思われて、実はセットで撮るしかない映画がテーマパーク映画にならないための工夫であると思う。『ラスト、コーション』など、実景を使っていてもテーマパーク映画だったし、『イップ・マン 序章』や『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』でセットの街を見せられたときの残念感を思うと、この試みはかなり成功しているように思われる。
  • ファッションによってさりげなく時代の流れが描かれているのがいい。梁朝偉章子怡も、最後の最後は洋服。
  • 『それから』のサントラから2曲使われているが、映画自体にも『それから』の影響が感じられる。わかりやすいのは帽子をかぶった梁朝偉の後ろ姿とかだけれど、梁朝偉章子怡の「そのとき、ふたりの距離は0.1ミリ」みたいなショットも、『それから』の百合のショットから来ているのではないか。
  • 武術を見せて、でもその根底には思想があって、群像劇で、恋愛が絡んで…という意味で、内田吐夢版『宮本武蔵』とけっこう似ているのではないかと思った。撮影にあたって梁朝偉は『宮本武蔵』を読まされた、という話を聞いたが、映画は観なかったのだろうか。内田吐夢版『宮本武蔵』は五部構成にしていろんなものを全部描いて、どの方面からも文句が出ないような仕上がりになっているので(入江若葉には不満だけど)、『グランド・マスター』もそのくらいにしたら、王家衛好き以外からも文句が出ないようになるかもしれません。いや、わたしはいまので十分だけど、そういうのも観てみたいような…。五部作るほどのネタはないと思うけれども。