新宿バルト9で、青山真治監督の『東京公園』(公式)を観る。原作もののようだが、原作(小路幸也『東京公園』)は知らない。
主人公は、カメラマン志望の大学生(三浦春馬)。まるで公園のように、いろんな人を引き寄せ、受け入れる男。きれいなおねえさんや、キュートな女の子や、お化けや、神経衰弱の歯医者が彼のところにやってくる。しかし彼は、そんなまわりの人たちの思いをぜんぜんわかっていない。
そんな彼にいろいろおせーてくれるのが、キュートな女の子=死んだ親友の元カノ(榮倉奈々)。どうしてそんなにいろんなことがわかるのかというと、彼女がシネフィルだからである。シネフィルだから教養があり、なんでもわかる。シネフィルといってもゾンビ映画マニアで、その理由はのちに明かされるけれども、正直がっかりして「ゾンビ映画かよ」などと思っていると、加藤泰の『瞼の母』[C1962-10]を持ち出したりして安心させてくれる。『瞼の母』はもちろん、『ゾンゲリア』[C1981-02]も観ているけれど、こちらはぜんぜん憶えていない。
榮倉奈々はいろいろおせーてあげる役だから、長い説明的な台詞がたくさんあっても許せる。しかし、ほかの人が自分の心情をしゃべったりするのはよくないと思う。特に三浦春馬は将来の不安とかしゃべってはいけない。
主演の三浦春馬は、よくやっていたとは思うが、この役柄にしては美形すぎる気がする。榮倉奈々はキュートでよかったが、ちょっと単調な感じ。きれいなおねえさん=小西真奈美はなかなかよかった。冷蔵庫がうちと同じなのもいい。きれいな奥さん=井川遥はぜんぜん特徴がないが、あれはぱっと見ておかあさんにそっくりと思わせないための配役なのだろうか。ちなみに、母親とそっくりな女性を追いかけたりしなくても、部屋に母親の大きな写真を貼っていたら立派なマザコンである。
『東京公園』というタイトルからして小津を思わせるが、切り返しショットや動作のシンクロなど、スタイル的には小津っぽさがいっぱい。秋から冬にかけての公園の風景は美しいし、季節の空気感もけっこう出ている。いかにもな感じではない、古びた日本家屋のたたずまいも悪くない。いい映画だとは思うのだけれど、いまひとつ心に響かない。原作ものだからか、登場人物の苦悩が観念的に思われるけれど、客観的にみると今を表現している感じはする。だけどわたしはそこにはいない。実は、これは最近の日本映画を観るとたいてい感じることである。わたしには同時代的感性が欠けているのかもしれない。ちなみに、美しいと思いつつもこの映画の季節感に惹かれないのは、今がわたしの大好きな夏だからだ。公開時期は映画の季節と合わせるのが望ましいと思う。
この映画を観て、自宅に戻ったら、毎日違う公園や神社仏閣に散歩に行こうと思った。拝観料が要るところは、前まで行くだけで入らないけどね。