バンガロールに来ちゃったの

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『貴族の階段』(武田泰淳)[B1328]

『貴族の階段』読了。

貴族の階段 (岩波現代文庫)

貴族の階段 (岩波現代文庫)

言うまでもなく、先日観た『貴族の階段』[C1959-39]がおもしろかったから原作を読んだわけだが、映画よりももっとずっとおもしろかった。映画は基本的には原作に忠実だが、けっこう違うところもある。映画を観ていて、「ちょっとここはつっこみどころ」と思った部分は、たいてい原作とは違うところである。

まず違うのは、小説は氷見子の一人称で書かれている点。映画も基本的には氷見子の視点で語られていたが、部分的に彼女が存在しない場面、知るはずのない場面もあった。そのような中途半端さに対処するためか、氷見子の視点の部分に日記を使っていたが、小説には日記は出てこない。

最も大きく異なるのは、少女たちの関係である。映画では節子が氷見子のおねえさまだったが、小説では逆。しかも、節子が一方的におねえさまと慕うのを、氷見子は拒否している。しかし節子に叛乱将校たちの動きを探らせるため、「おねえさまになってあげる」のだ。つまり、氷見子と節子のあいだには明らかに力関係があり、こちらのほうがどうみてもしっくりくる。

氷見子の兄・義人への近親相姦的な愛情や、節子の氷見子に対する同性愛的愛情もはっきり描かれていて、映画よりもエロティックである。節子が義人や秀彦に抱く感情も、根底にある「おねえさまのお兄さま」「おねえさまの父上」という事実と切り離せない。

映画でも、氷見子は比較的クールだと思ったし、戦前の華族令嬢のイメージに反してずいぶん不良だと思ったが、ぜんぜん甘かった。小説では、節子と父の関係を知った氷見子は、自分も「御乱行」をはじめるのだ。そのことが次第に人の噂にのぼるようになり、父の耳にも入るが、そのときの親子の会話がまたすごい。

「氷見子、おまえ、ちかごろいろいろとやっているんじゃないかね」
「ハイ、いろいろとやっております」
「男の方も。いろいろとやっているらしいな」
「ハイ、男の方も。」
「そうか。それは、それでよろしい。……」
(pp. 196-197)

『戦前の少年犯罪』[B1255]に「戦前は女学生最強の時代」という章があり、女学生の暴れぶりが描かれているが、まさにこれを裏づけるかのような小説である。

原作は映画よりも少女たちの比重が大きく(徳川さまの出番も多い)、親たちや義人の存在感は小さい。あらためて映画のキャストを考えると、少女たちにもっと豪華な大物女優を充てるべきだと思わされる。映画を観たばかりなのに、自然と映画の配役で想像してしまうのは森雅之と叶順子くらい。小説の氷見子から金田一敦子(だいたいこの人誰さ?)は全く想像されない。氷見子役としてすぐに思い浮かぶのは若尾文子だが、ちょっと年を取り過ぎなのと(26歳くらい)、叶順子と雰囲気が似ているのが気になる。氷見子も節子も目立つ美人で、しかも明らかに節子が上という設定なのでなかなか難しい。義人の役も、本郷功次郎よりもっと悩める美青年にしなければならない。大映だから市川雷蔵くらいが無難なところか。