新宿K's cinemaの「韓国ニュー・ウェーブ、再発見」(公式)で、李長鎬(イ・ジャンホ)監督の『風吹く良き日』を観る。昔からイ・チャンホとして知られているが、今回の表記はイ・ジャンホ。1980年の映画がやっと公開されたわけだが、これまでにも何度か上映されたことはあり、そのたびに観たいと思いながら観逃していたもの。
ソウルの端のほうで下層の暮らしをしている地方出身の三人の若者を描いた青春映画。1980年といえば、侯孝賢(ホウ・シャオシェン/ホウ・シアオシエン*)が『ステキな彼女』[C1980-22]を撮った年。そのせいか、全体的な垢抜けていない感じとか、女の子の描き方とか、侯孝賢の初期三作を彷彿させる雰囲気がある。
とはいえ、この映画と並べてみるべき侯孝賢映画は、もちろん『風櫃の少年』[C1983-33](asin:B000HA4WCU)である。地方から都会に出てきた若者たち、友情、厳しい生活、淡い恋、そして最後に兵役。
一方で、これらふたつの映画が与える印象は、大きく異なる。『風吹く良き日』は、経済や教育の格差が強調され、社会派的な印象が強いし、政治的な含意のある台詞も散見される。これに対して『風櫃の少年』はもっと個人的で、ノスタルジックな味わいをもつ。この違いにはおそらくふたつの大きな理由がある。
ひとつめは、70〜80年代の韓国社会と台湾社会との違い。戦後の長い独裁の末、似たような時期に民主化と経済的な発展を成し遂げた両国は、似たような印象をもたれがちだけれど、この時期の両国は大きく違う。韓国史には疎いのだけれど、1979年の朴正煕暗殺、戒厳令、そして1980年の光州事件と続く韓国。一方、1970年代から1987年の戒厳令解除に向かって徐々に独裁が緩んでいった台湾。『風吹く良き日』には、やはりそのような時代の閉塞感のようなものが根底に流れている。
ふたつめは、李長鎬監督がおそらく同時代の韓国社会そのものを描こうとしたのに対して、『風櫃の少年』は同時代を舞台に設定してはいるものの、侯孝賢の自伝的な内容をその時代に置きかえたものである。したがって、同時代の社会的、政治的な背景を積極的に取り入れようとはしていないように思われる。
ところで『風吹く良き日』は、韓国ニュー・ウェーブの代表作ということのほかに、若き安聖基(アン・ソンギ)が主演なのも大きな見どころである。下層社会に生きる吃音の青年という役どころに、この時代の風俗的なダサさも加わって、いわゆる二枚目俳優という感じは全くしない。最近『アン・ソンギ - 韓国「国民俳優」の肖像』を読んで、安聖基がその時代の韓国社会を鋭く反映した映画に出続けてきたということを確認したが、この映画を観て「なるほど」と思う。特に中年以降の安聖基はまぎれもなく二枚目俳優だと思うけれども、昨今のイケメン韓国俳優とはぜんぜんキャリアの成り立ちが違うとあらためて思った。
また安聖基は同書で「ラブシーンが苦手」と語っていたが、そういわれてみるとこの映画でも、清純派っぽい女性と誘惑する女性のふたりから言い寄られるのに、異様なくらい素っ気ない対応をしていた。
- 作者: 村山俊夫
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