実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『行きずりの街』(阪本順治)[C2010-43]

T・ジョイ出雲でやっている、観てもよさそうな映画がこれだけなので、阪本順治監督の『行きずりの街』(公式)を観る。阪本順治の映画は『KT』[C2002-01]以来か。

志水辰夫(名前を聞いたこともないですが)原作のミステリーの映画化。ミステリーを期待してきた人には不評のようだが、この映画においては、ミステリーは単に物語を引っ張るためのものにすぎない。内容的にはメロドラマ兼人間ドラマであり、わたしはそのほうが好き。ミステリーというのはあくまで読むものであり、あまり映画には向いていないのではないかと思う。

主人公は、かつて教え子、雅子(小西真奈美)との恋愛・結婚がスキャンダルとなり、名門女子高の教師の座を追われた男、波多野(仲村トオル)。波多野はトラブルに正面から向き合うことを避けて逃げ、そのために雅子を不幸にし、しかし自分ではそのことに気づいていない男である。それに気づいた彼が、行方不明の塾の教え子、ゆかり(南沢奈央)を救うことによって過去を克服する、というお話。

雅子と波多野とのメロドラマ的な側面はけっこうよくて、特にラブシーンがよかった。小西真奈美の顔ばっかり写しているところとか、顔の汗とか。

ただし、雅子が翌朝早起きしていそいそと朝食を作ったりしていたのには興ざめ。こういうのにすごく嫌悪感を感じるのだが、男が早起きして朝食を作っているというケースは超好感度大。ということは単なる身勝手なのか? でも、前者の場合は相手の男の身になって、「怖いな、もう逃げられないな」と思うし、後者の場合は相手の女の身になって、「いいオトコだな」と思う。無意識ながら、常に作らないほうに感情移入しているわけだ(自分はぜったい作らないと思っているから)。

波多野の過去についてはかなり断片的に描かれていて、点と点を結んでいくと全貌がわかるといった感じで、説明的でないのがいい。ところが、その過去の克服という側面では、説明的な台詞が多いのが気になった。雅子や雅子の母(江波杏子)やゆかりが、「あなたはこういう人である」みたいな、まとめ的な台詞を言いすぎる。彼はそれでもぜんぜん気づかないような「鈍感さん」なのだが、観客にはわかりすぎ。もうちょっと断片的な台詞と演技で描けないものかと思う。

最後は使われなくなった教室での対決。学校の空気みたいなものがいまひとつ感じられなかったのが残念。学校ということで『密告者』[C2010-31]を連想しながら、最後のアクションシーンや裏切りのドラマにもうひと工夫ほしかったな、と思う。窪塚洋介石橋蓮司が演じる悪者たちは、見るからにいかがわしすぎ、芝居じみていて好みではなかった。

それから、エンディングで小室プロデュースの歌を聴かされたのが激しくイヤだった。